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更新日記2014.05.09

更新日記2014.05.09

 小説の〈真の〉作者は読者だ、という見解がある。
 読まれるべき読者の手にわたって初めて、その小説は幸福な完結をみるのだ、と。
 この見解は、たしか、ドイツ戦後文学のあるアンソロジーに記されたものだ。

 ヴィクトル・セルジュの『仮借なき時代』(現代企画室)に出会って、この見解の正しさを実感した。この小説は、1946年に書かれ、1971年に刊行され、2014年に翻訳刊行された。25年――43年と、タイムラグがある。
 受け手を見つけられないまま、激しく彷徨ってきたような作品だ。
 ドイツと日本の戦後文学に共通する要素、そして、それらの欠落を補完する「予言」性をそなえている。
 スパイ小説と銘打たれているが、モームに始まる「戦勝国」謀略ものとは似て非なる痛烈な世界だ。独ソが競いあったジェノサイドの裏面は、この小説をどこまでも暗く覆いつくす。そのことによって、褪色からまぬがれた。EUミステリの諸作とならべても、なお〈現在〉でありえている。

 ……まだ人間を信じることは可能だろうか? われわれだけが有罪であるとしたら、僕はほっとするだろうし、希望を取り戻せるだろう。でも、そう信じるにはあまりにもいろんな経験を積み過ぎた……。

 ドイツ国民は、魂にまで傷を負った重傷者さながら、生き永らえるであろう。だが、許されないであろう。われわれは敗者であり、歴史は勝者しか許さないからだ。

『仮借なき時代』ヴィクトル・セルジュ 角山元保訳 (下37p 40p)

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