×

遺書

遺書

遺書

クレージー・エルロイの『アメリカン・デストリップ』を読んでいる途中で、脳がデストリップをはじめた。蜘蛛の巣にとらわれた芋虫にも似て終わりのない幻覚劇の世界に落ちていった。地底に降りていくトロッコなら終点がある。ところがぼくの乗せられた軌道ははただの平面の曲がりくねった回廊だった。同じところをぐるぐるまわっていることは確かなのに、風景はいくらかずつかみちがっていた。
由来ぼくは一ヶ月、脳病院に入院させられることになった。監視つき個室のベッドに縛りつけられていたのが半分、あとの半分は大部屋だった。カーテン一枚むこうの男は糖尿病からくる末端神経障害で、ものが呑みこめなくなっている患者だった。食事どきのたびにぴちゃぴちゃと化け猫が行燈のあぶらを舐めるような音をたてるので、こちらの神経にもさわった。斜めむかいのベッドに収容された男は数時間もしないうちに別のフロアに移動していった。足を一本切り落とさなければならないという会話のきれはしがいやでも耳に吸いついてきて、いつまでも拭いされなかった。このとき見物したいろいろと奇妙な患者の生態は、いずれどこかに書きたいと思っている。
いや……。
ぼくは何をいっているのだ。そんな機会など、もう二度とこないということをここでしたためているというのに。
だれもが入院一ヶ月で済んだのは僥倖だと言う。
ある者はもっとあからさまに、日ごろぼくが書いている小説の妄想世界を追体験したようなものだから本望ではないかと、とまで言った。本望とは、しかし、生還できなかった場合に用意されていた評言のようにも思えた。ぼくはもしかしたらいく人かの者をがっかりさせてしまったのかもしれない。ダメージも残さずに退院してきたという事実は、他人にはやはり期待はずれをもたらしたのか。悪意があって、どうこうという話ではない。人間は本音の底では他人の不幸を待ち望んでいるものだ。たとえ望みがかなえられなくても人は心から回復を祝うことができる――これを矛盾というのは間違っている。
運が良かったのだろうと、だから、正直に、深く考えることなく、ぼくも信じることにした。そして退院してからの日々を本復に近づけていくのだと、柄にもなく同意もしたのだ。
ところがある日を境にして、この決意が崩れていくことになる。一夜にして突然に、とかいう事態ではない。徐々に徐々に起こったのだ。気づいたときにはもう疑いようもなくなっていた。つまり、こういうことだ。外見はふつうに見えても、いったんデストリップにかきまぜられてしまった脳のさまざまのファンクションは、どうやら元にはもどらないようなのだ。ことの判断は微妙であり、絶対的なことは本人にしかわからない。客観的なテストでもあれば助かるのだが、これは脳波の検査ていどでは結果の出ないことだ。ぼくの仕事は、生産される製品がどうであれ、精密しごくな頭脳作業を要求される。どこかに欠陥が生じてしまった場合、致命的な打撃をこうむる。
退院してから一年が過ぎた。この一年のぼくの仕事はどうだっただろう。水準をキープできているのか。気になって仕方がない。活字になったものを見るたびに、はっきりと調子が落ちているような気がして脂汗が出てくる。他人はどう思っているのだろう。あいつはもう終わりさと、冷ややかにながめているのか。尋ねてみたいがその勇気が出ない。言葉は適当に儀礼的に発されるとしても、答え方や顔つきで考えていることの本音は読めるはずだ。だが……。ぼくはその答えを知るのが怖いのだ。
ぼくは人知れない欠陥を脳にかかえながら、このまま花のように衰弱していくのみなのだろうか。
こうした不安が物書きに特有の鬱病症状だということは知っている。でも必要なのは処方ではなく、鬱を退治するだけの精力だ。パワーだ。どうやらぼくはその力からも見放されてしまっている。それに――欠陥が生じているというのは否定しがたい事実だ。このところ煩雑に字を書きまちがえる。手書きのときにとくに多い。「とくに」と書こうとして「と」の次が「く」と書いたつもりで「き」になってしまったりする。こうした書きそこねが五行に一回は出てくる。この頻度がしだいに増えてきている。脳と右手の指を結ぶ回路のどこかが切れているのだろう。はっきりと症状が出ているからには、どうしてその欠陥に目をつぶることができようか。
結局、ぼくの答えはかんたんだ。
ぼくは治らなかったのだ。一ヶ月の入院も、その後の一年も、その事実を隠すことはできない。ほんとうに回復したのと、そう願うのとでは、本質的に差がある。それを瞞着するのは不誠実というものだろう。
欠陥が手のつけられない状態に進行するまでに、自分の手で決着をつけるべきだ。そうしなければならない。
書くという仕事を喪えば、ぼくに生き永らえる価値はない。
この文書を遺書としてしたためる。
ぼくは自らの生命を絶つことにする。予定としては少し早められたが。
いつ、どこで、どんな方法で、とかまではここに書かない。作家の死はパフォーマンスではなくて、あくまで個人的な事象だ。だから意志だけ伝えておけば用は足りるだろう。同じ理由で、この文書は、二重底のカクシのような場所に収められることになる。
不義理ばかりしている方がたには、非礼は承知で、この場を借りてお詫びに代えさせていただく。
あわただしいが、突然に倒れてそれきりになったと思えば、まだしも恰好がつくだけましだろう。

五十五歳の誕生日を前に

野崎六助

コメントを送信