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更新日記2006.12.01 地底の太陽の輝き

更新日記2006.12.01 地底の太陽の輝き

 作者が十数年かけて完成させた一万一千枚の超大長編小説『火山島』は、現代史の欠落を文学によって埋めようとする壮大な挑戦だった。
 その後も金石範の創作力はまったく衰えることなく、活火山のごとき噴出をつづけている。本書は、『火山島』の終結その後を描く在日編である。続編というよりむしろ、第二部のスタートと受け取ったほうが適切だろう。数万規模の虐殺を逃れた主人公が「亡命」した大阪の地で再生の覚悟を固めるまでの一年余をあつかう。

 命を拾った主人公に希望は訪れず、かえって豚のように生き延びた自責と恥辱がたえまなく襲う。彼は逃れてきた済州島の夢魔にさいなまれる。身を現実におく日本と「虐殺島」の情景は彼の内で一つにつながっている。彼の体内時計は生きながらに引き裂かれてしまったのだ。これは類いまれな青春小説であった『火山島』の後日譚としては自然な運びかもしれない。その夥しい登場人物たちのほとんどは死に絶えてしまった。彼は生き場所を喪ったひ弱なインテリであり、物語の色調はかつての「戦後文学」に近いものとなる。語りうるのはレクイエムでしかないように。
 だが本作のポストコロニアリズム小説としての独自の光芒は、こうした「限定」をも打ち破る。大阪弁と朝鮮語の親しさが語られるように、作者の文体は強靭な民族性を放ちながらも、混血日本語のみずみずしいリズムを刻んでやまない。執拗で優雅だが「外国語」だ。このような混沌たるスタイルを保っている在日作家は絶無だし、他のマイノリティ文学にもみられないだろう。
 大阪も済州島も、幻影の街だ。済州島事件の起こった1948年から時間は少しも経過していないのだ。歳月の腐食をいたずらに歎ずるわれわれの時間感覚のほうが虚妄なのではないか――金石範の文学にふれるたびにそう思わされる。
 作者が再現する戦後まもない大阪の風景のリアリティに驚いてはいけない。作家は回想を巻きもどす必要もなかった……。故郷済州島を再訪することすら許されず(作品執筆時には)描出された「島」の、微細な情景からパノラマ的俯瞰にいたるまでの全景を知る読者にはごく親しい「方法」というべきだろう。幻視の激しさ、故郷喪失の激しさが可能にした逆立的リアリズム。このように脱植民地化過程にある敗戦直後の日本風景を激越な涸渇の文体で呈示した日本文学はなかった。
 地底に沈んだ太陽。五十年を過ぎようとする金石範の在日生活において太陽が決して地上には昇らなかったことをわれわれは知る。

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