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『同時代批評』時代 9

『同時代批評』時代 9

 
 『別冊1』1989.5 『別冊3』1990.2 15号 1991.1
 15号から青豹書房発行になった。
この他に、『別冊2 日常に忍び込む放射能』青峰社 が出ている。
 15号用の「つかこうへい論」は二日ほどで早書きしたように記憶している。同時代批評のなかでは「野崎に時間の余裕を与えるな」というのが非公式の了解事項であったらしい。人並みの締切時間を設定すると、一冊分書いてしまうからだ。
長い間隔が空くあいだ、いくつかの「改革案」がとりざたされた。この時期は岡庭さんのテレビ・ディレクター時代の頂点にあたっていて、早い話が、忙しすぎてとても雑誌の編集にさく時間を持てなかったためにいくつかのプランが流れてしまったわけだ。編集実務の中心を担う人材を確保できなかったことも「流動化」の要因だった。
簡単にいうと、岡庭編集長の責任範囲を軽減して若手スタッフ中心に運営していこうとする動きもそのなかで生まれた。造反ではなく、とにかく雑誌は続けていこうという意志のあらわれだった。向井徹などが中心になり、わたしもプラン練り合わせに付き合った。
 その時分は、梁さんやわたしが比較的身軽だったので、相談役みたいな格に置かれた。メンバーの顔合わせをしたときだったと思う。場所は新宿の「滝沢」がいいだろうと言うと、梁さんの強硬な反対にあった。「コーヒーなんて高いだけで無駄やないか」。たしかに滝沢のコーヒーの値段なら、よそでビールを飲んでもお釣りがくる。
 こちらはゆったりと時間を過ごせる場所を頭に描いたのだけれど、コーヒーと煙草で浮かんでくる名案と対価で測れば、一杯千円は釣り合わないかもしれないと反省した。やはりわたしは京都の人間だ。在日大阪人の実利的思考に不明を指摘されたような気がした。
わたしのほうでは、一方では、『北米探偵小説論』をまとめる最終段階に入っていた頃だ。

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