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更新日記2004.09.03  坂口安吾に悶絶

更新日記2004.09.03  坂口安吾に悶絶

 年度別編集になる『坂口安吾全集07』(48.8-50.5)は、桁外れの悶絶する面白さだ。 大井広介と埴谷雄 高が防空壕の博打で女侠にムシられる話「お魚女史」とか、武蔵野に出没する贋アンゴ氏を追跡する「西荻随筆」とか。後者はドッペルゲンガー譚として「群衆 の人」よりも良くできている。
 なんといっても、この巻のハイライトは未完の長編『火』だ。
安吾の本質がドストエフスキイ に迫る長編作家だったことを示す最高のテキストがここにある。『吹雪物語』を青春の影だとすれば、『火』は安吾の作家的燃焼の焔だ。『二流の人』に実を結 んだ人間の複雑な社会性への洞察が、戦後日本社会のフィクショナルな再現という作家的野心に形を与えた。未完を惜しむ理由は少しもない。ビルドゥングス・ ロマンであり、政治小説であり、風俗小説であり、もちろん極端な観念小説でもある。
すべての人物の行動が安吾印の狂騒に弾け飛ぶ。深淵を映せば映すほど滑稽、ファルスに傾けば傾くほど底深い人間の真実を抉りだす。人間存在の聖性と俗性とを混沌未分のまま無造作に鷲掴みする安吾の文体が噴出する。

拙作『安吾探偵控』に、鉄管小僧を引き連れた安吾が家出娘を探して、雪の新京極をぶらつくシーンを描いてみたが、『火』の、七十をこす老人の絶倫男が逃げ 出した若い嫁を捜し求めて京都の繁華街を、喫茶店、映画館、動物園、ダンスホールと跳びまわる移動シーンの超現実主義描写の足元にもおよばぬ常識性に終 わった。色欲に狂った変態性欲老人はMとSの相性の良さが忘れられずに、嫁の仲間に騙されて適当にあちこち引き回されているだけなのだが、その一行をまた 七十八歳の高利貸が尾行するというにぎやかさ。凡百の書き手が試みてもマンガにしかならない。
安吾、第一回目の精神病院入院と前後して書かれた作品。

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