×

更新日記2003.10.01

更新日記2003.10.01

なぜ一気にものものしく年を取ってしまうことができないのか。――なんてことを考えてるうちに年のほうは勝手にこちらを追い越していくかのようだ。
晩年の仕事を考えなければならない時期にさしかかっている。ただいま予定に組んでいる仕事のうち、確実に晩年に属するといえるのは『魂と罪蹟』のみだ。これの第一章にあたる「砂時計のなかの在日」『小説TRIPPER』の最新号に掲載された。
これは十回ほどの連載予定の第一回として書かれたのだが、掲載元の都合で読み切りの形に終わった。別の媒体を探さなければ、またまた中断のうきめをみることになる。
この仕事を焦って進めようと思ったのは、昨年の九月あたりから始まった日本社会の狂騒に恐怖を感じたからだろう。メディアの大合唱によれば、この国は北 朝鮮に総攻撃を仕掛けているかのような状況だった。今にも攻撃が進行するのではないかの怖れというより、現に攻撃中であるような勇ましい進軍ラッパの横行 にくらくらと眩暈がしそうだった。これでは自分の仕事を残せない……。
晩年を繰り延べするのではなく、早めたほうがいいと感じたのだ。
連載の話まではわりと順調にいったのだが、これが白紙に戻る。晩年からいったんは取り残されたのか、あるいはもっと惨憺たる事態なのか、ちょっと判断がつかない。
他の予定に関しては、おおむね中期作品に位置づけられるだろう。ある程度の成熟の所産か。どちらにしろ。
今のところ三本あるけれど、そのうち『すべて神の子には翼がある』については、正直、みえ ないところが非常に大きい。ひょっとして、というか、たぶん間違いなく、これまで自分が書いてきたものを決定的に凌駕するだろう予感がある。これまで以上 に苦しいだろうということ。それは『魂と罪蹟』が評論としてわたしの代表作になるだろうこととは少し意味が違う。小説だから未知の部分が大きすぎて、なん とも予測がつかない。

とかなんとかいっているところに、パソコン買換という予定外の一大事がきた。
わたしのMac時代は唐突に終わりを告げた。しかしWindowsマシーンにはなかなか適応しにくい。修理に要する手間と費用と精神的ダメージというトライアングル・ストレスを計算すると、ウインドウズで軽くなったほうがいいと思い切ったわけ。
おかげで来る日も来る日もマシーンにかじりついている始末。いったい残りの一生でコンピュータの神に捧げる時間はどれだけあるのか。どれだけ時間を盗まれていくものやら。
結果として、ページが一新されている部分もあり。今回は、更新に力を配分できず。

コメントを送信