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おれの愛用品

おれの愛用品

おれの愛用品はおれのマッチスモの証しだ。イェい。
愛用がこうじて――こうじすぎたのか、今は非愛用品だ。このことが自分にとっても相手にとっても切ない。
おれは十数年前に買った外国製の万年筆をかつては愛用した。しかし最近は、時どき愛玩するように眺めてやるのみだ。そのことが自分にとっても相手にとっても哀しい。
なれそめというほどの出来事ではなかった。専門店に足を運んで購入した。ブラックをくれ。タフなブラックだ。専門店だから店主には一家言があった。試し 書きをしてみろという。揮毫を求められたようにおれは書いてやった。店主はおれの書きぶりと残された筆跡をまじまじと見つめてから口をひらいた。貴公はま ともに字を書いたことがあるのか、万年筆は真っ直ぐに持つということを知らないのかと。なおも言った。相当の習練と矯正が必要だと。実直な人物なのだろ う、ペンも満足に持てないような男に店の誇りたる万年筆を売りたくないという感情をむき出しにしてきた。
おれもむかついた。
おれはペンを変則に斜め倒しにして書く。踊ったような行はジグザグを呈する。字そのものは変体的な丸字だ。だがそういう欠点を、まともにおれに伝えた奴 はいない。おれを怖れているからではなく、用の足りるほどには読みやすいからだ。以前に使っていた万年筆はすごい安物だったけれど、手になじんで長く使っ たのでペン先が斜めにすりへってますます手放せなくなって……。おれが好んで描くダイムストアの世界にもお似合いだった。深情けにつけいって書き潰してし まった。
まあ、そんなことはいい。おれは店主の手強い拒絶反応をなんとかなだめて、タフなブラックを購入することに成功した。LAMYだ。店主が親切にもつけて くれた「万年筆の正しい持ち方」マニュアル小冊子つき。そしておれは決意した。書くぞ。書いて書いて書きまくって、ペンダコ自慢をして、書痙にもなってや ろう。万年筆は俗流フロイト分析によれば男根崇拝のたまものである。ペンは剣よりも強しという格言をフェミニストは嫌っているはずだ。その点からいっても ――いや、いくら何でも細すぎるぞ。オトコは太さではないけれど……。まあ、そんなことはどうでもいい。
結論を言う。おれの決意はことごとく実を結ばなかったのだ。書かなくなったのではなく、他の手段で「書く」ようになってしまったからだ。
場面は飛躍する。おれがこの安っぽい文言をキーボードで叩いている横で、おれの血を引いた息子がテレビを観ながら右手で飯を喰い左手の親指一本でケイタ イ・メールを打ちこんでいる。「書く」という動詞はかなり近い将来に死語に成り果てそうだ。いや、すでに現実なのかも。そんな時代になったら、おれは性転 換でもして次のように書くしかないだろうな。――かつて男根中心的な屈辱的作業でもあった文筆行為は、タイピングという女性遍在的なユニヴァーサルな投企 として万人に解放されたノデアルとか。
……おれは優雅でブラックなボディを今でも愛撫してやる。ネジ式のポンプで小まめにインクを送りこんでやりもする。未来がどうなろうとおれの頑迷さは変 わらない。手書き入力で文章を書く習慣を持った「最後のモヒカン族」になるのなら、あえてその栄誉を引き受けよう。そのうち進化が泡のごとく霧散する時が やってこないともかぎらない。
その時にはおれの愛用品の出番がほんとうにまわってくる。サンキュー。

e-NOVELS通信 2004.01.27

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