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更新日記2003.02.01

更新日記2003.02.01

レスリー・フィードラーが逝った。85歳。
『終りを待ちながら』が与えた衝撃と恩恵とは長くつづくものだった。文芸批評をぶちこわす文芸批評のスタイル。そのあたりのことは、『北米探偵小説論』の成立をめぐる文章でなんども触れたことがある。エリック・ドルフィーブッカー・リトル『アグレッション』スコット&ゼルダ・フィッツジェラルド『クラック・アップ』


彼もまた、まぎれもなくわたしの、一人の60年代的ヒーローだったのだと思う。
そういえばフィードラーの新刊を読み残していたと気づく。『シェイクスピアにおける異人』。シェイクスピア作品におけるフリークアウト・ピープル、いかにも彼らしいテーマのしぶとい持続だ。


考えてみれば、わたしらは60年代を生きたといわれながらも、その通過した時代の充全な意味を、それを決定的に喪うという代償を払うことによってしか掴むことができなかったのだろう。エデンの門をあけたとしても、そこに戯れた黄金の日々の記憶は、そこから閉め出された外側からプレイバックして「報告」するほかなかった。そうすることによって黄金の日々のすばらしさがいっそう輝くという倒錯に苦しめられた(悦ばされた?)としても、なお意味は問いつづけられずには済まなかった。

新規更新に「2002年終わりのあいさつ」など。
あいさつにまとめたものが、あんがい少ないのでおかしいような気もする。自分の実感ではもっと書いているんだが。結局、ホームページ用にけっこう書いているから、そう思えるのだろう。
推協の会報に病気のことなど書いたら、反響がものすごく(?)て恐縮している。いや、そんなにおおげさなものじゃない
んですよ。とはいえ、絶好調とはほど遠いこともたしかなので。思うに、入院生活もきついけれど、あれはあれで諦めがつく。日々の暮らしをふつうにこなしつつの定期的な通院生活というのが、かなり鬱陶しいダメージを与えてくるのだ。それはそれで仕方がなかった。

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