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栄光の少年マガジン

栄光の少年マガジン

1970年5月と8月の表紙。構成は横尾忠則。原画は、左がちばてつや、『明日のジョー』の、あまりにも有名なKOシーンのコラージュだ。右が斉藤五百枝。

 この年の3月、ブント赤軍派が明日のジョー作戦を敢行。そして力石徹の追悼イベントが開かれた。矢吹丈をノックアウトした力石は、試合後、過度の減量のために死亡する。フィクション上の人物の生と死が、これほどまでに現実の出来事として話題をさらったことはかつてなかった。


 横尾忠則集の後編。70年の8月と9月。原画は、左が香朝楼。右が手塚治虫。

 横尾忠則は同時期、講談社版江戸川乱歩全集の装丁も手がけている。アングラ・アートと乱歩万華鏡はよく似合っていたが、似合いすぎてもいるようで、わたしには違和感が多かった。少し前に出ていた、真鍋博の装丁による春陽堂の18巻全集のほうが気に入っていた。


 これは1970年の11月から12月の表紙。構成は水野石文。原画は、谷岡ヤスジとルネ・マグリット。舞台は少年マガジン。ヤスジの鼻血ブーとシュルレアリスムの名画は、疑いもなく無媒介に自明に同一空間において享受されていた――その事実を証明する実例だ。

 もう一つの実例は『美術手帖』という雑誌に見つけられる。ちょうど同じ頃だと思うが、「毛沢東、ゴダール、谷岡ヤスジをめぐって」というサブタイトルのけっこう生真面目なシンポジウム記録が掲載された。じじつゴダールは「映像マオイスト」として急旋回を始めていたし、突飛な横断とも、強引な関連づけとも感じられなかった。文化における極左冒険主義は、こんなふうに到るところに噴出していたのだった。雑誌は手放してしまったし、発言者がだれとだれだったかも忘れている。


表紙1971年の分。前衛性は薄れ、ごく普通のパッケージになってきている。以降のコレクションはなし。

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