更新日記2014.05.15 V.Serge
だが彼はいわば本質的ではない誤りによって孤立していた。このため彼の仕事の直接的重要性はその意味を減じてしまった。彼はかつてのボリシェヴィキ党に固執しすぎていたため、停滞してしまったのだ。彼は死を間近にひかえてもなお、ソ連国家の犯した罪を認めながらも、この国が、「社会主義労働者国家」ではなくなってしまったのだということは、認めようとはしなかった。そして、この国に新しい全体主義体制が確立したということを認識することを拒否した。彼は自らの双肩に第三インターナショナルの英雄的な時代に続く、刷新された第四インターの重みを背負うことができると信じた。彼は自由意志主義者、ユートピア主義者になっていた。彼は労働運動全体から自らを切り離し、過ぎし日々のボリシェヴィズムをそのまま維持することに夢中になっていた。そして現実には誰一人としてこれを理解しなかった。彼を愛し彼を理解した革命家の眼には、トロツキーは不退転の人間と映ったが、彼らはトロツキーの道に従おうとはしなかった。彼は彼の党派の内部抗争や分裂をいく度か調停したが、この党派は時代遅れの公式にしがみついた一派を形成していたにすぎない。われわれは彼の内面のしたたかさと、彼の孤独の悲劇を理解することができる。
――ヴィクトル・セルジュ「レオン・トロツキーの生涯と死」 『スターリンの肖像』1940 吉田八重子訳 新人物往来社 1971.4
セルジュの1940年に書かれた書物は、タイトル通りのスターリン研究本だ。
グルジアの風景を叙する冒頭。ラストは、自分が粛清し皆殺しにしてしまったかつての同志(古参ボルシェヴィキ党員)の亡霊におののき震える独裁者の煉獄。
レーニンも、トロツキーも、ここでは脇役だ。
否応なしに気づかされるのは、セルジュの先駆的なドキュメントが、以降、数かぎりなく描かれる「スターリン神話」の源流になっているという事実だ。ロシア革命は人間存在の振幅の巨大さを証明する歴史的事件だった。しかして、革命後社会は、その同じ人間存在が卑小なエゴに墜落していく挿話にみちみちている。
同時代人として通過したセルジュの筆は、歴史に翻弄されながらも、小説家の眼をはしばしに輝かせている。歳月を経ると、その距離はあまりに遠くて、しかも近い。
『革命元年 ロシア革命第一年』 1928 ヴィクトル・セルジュ
高坂和彦・角山元保訳 二見書房 1971.9
ようやく読めた。
批判的マルクス主義の可能性の課題として、また、日独を横断する戦後文学再検討の雄弁な研究素材として、引きつづき読んでいくこと。
10月革命一周年記念、第六回ソヴィエト臨時大会でのレーニンの演説より
「我々が突然に一掃されるようなことが起こるとしても、我々は誤りを隠すことなく、次のように言う権利があるであろう。運命が我々に与えてくれた時間を社会主義革命のために完全に利用した、と。……今日ほど我々が国際革命に近づいたことはこれまでに一度もなかったとしても、我々の地位が今日ほど危険だったことも、これまで一度もなかった」 322p
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