更新日記2014.12.09
本書の原型になる短編ヴァージョンの元原稿が不思議なことに残っていたので、PDF版をつくって、ホームページに公開しておく。
B6版の原稿用紙の原寸。赤字、手直し、訂正、メモ書きも、そのまま。見苦しいところを、ホワイト修整だけほどこした。
この短編版の成立と引き揚げられた顛末については、ホームページの「同時代批評時代」に記録されている。
当時は、下書きをこしらえてから、原稿用紙に清書する、といった作業工程だった。A4は大きすぎると感じ、B5を常用していたが、もう少し小型が欲しいと思っていた。B6を見つけたので、さっそく使ってみた。
出来上がりのおさまりはいいのだが、かなり書きにくかった。慣れるまで堪えるにはいたらず、一回きりの使用でやめた。その記念碑のようなもの。なかなかの愛着がまとわりつく「作品」となった。
構成としては、ツギハギのあとが不細工で、どうも感心しない。一冊に拡大するのに、一年を要してしまった。モチーフの引きずり方なら、自分でも納得できる連続性がある。
参考に覗いてもらうのも、一興か、と。
毎朝九時ごろにツイッチョンしてるのは、わたしのアンドロ人格です。理性ははたらいてますが、140字をこえる思考には未対応です。何より連続性の観点がゼロなので、リツイッチョンは出来ません。今これを書いているのはリアルサイドのわたしなので、議論をつなげたいと思います。
わたしを悩ませるのは、レーニン主義の超克、という課題です。わたしのヤワな感性には、ジジェクもネグリも酷薄すぎます。彼らはマオの文化大革命を踏み絵にし、文革の正当さを認められないのなら、日和見主義を彷徨うしかないと断定する。まったくそのとおりなのですが…。
待望されているのは、スターリン以上にスターリン主義的だったレーニズムの核心なのでしょうか。レーニン主義の勇猛で単純な「復活」は、そこに地滑りしていくだけのような気がしてなりません。『蟹工船』ブームのさい、心をよぎった最も不吉でネガティヴな感情がそれでした。
レーニン全集を丸暗記して、大状況・小状況に即応してその「教義」を唱えてみせる秀才たちが異端審問官の席を独占します。滅びたはずの風景が「復活」してくるとしたら、悪夢でしかないと、あのとき思ったのです。『異端論争の彼方へ』は、そんな怖れにおびやかされながら書いたわけです。
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