更新日記2014.01.24
Facebook に飛びこんでから10日あまり。ブログを始めた感覚で進めていくと、使い勝手がぜんぜん違う。個人アカウント用とフェイスブックページを混同してしまって、わけのわからないループ状態にはまって脱けられなくなった。焦りまくって、入門書をいくつか覗いてみる。役に立ってくれたのは、コレ。
「コンピューターおばあちゃんといっしょに学ぶ」
なるほど、自分史というつくり方があるのだな。
これなら、流行りの「エンディングノート」の代用にだってなりそうだ。と考えて、方向が見えてきた。
以前、某ミクシィで悲惨な体験をかいくぐっているので、SNSには近寄らないでおこうと決めていたわけだ。早稲田で教えていた頃、学生に勧められて加入させてもらった。センセイもミクシィやらないと一人前じゃないよ、とかなんとか。反論できず。
デビューしたはいいが、とくに発信したいコンテンツの持ち合わせはなく…。生ダラで、糊塗するほかなかった。本人が面白くなくて書いているのだから、他人が面白いわけがない。それでも、コメントはつく。おれを誘った手前、気を遣ってくれたのだろう。義理コメだ。
しかし、毎日書くのは正直つらかった。原稿製造労働者にとっては、日替わりで〆切の督促を受けるようなものだ。
それに、後から気がついたことだが、おれを勧誘した三人の学生は、リアル世界では、まったく仲良しではなかった。結果、トモダチが増えない。増える気配がない。こちらも、他人まかせを決めこんでいるから、増やそうという向上心はまったく燃えてこない。
疎外感に足を引っ張られ、ページ更新はとどこおる。何日も空いてしまう。するとミクシィから親切丁寧なメールがくるのだ。
○○さん(おれのミクシィ名が書いてある)あなたは得がたい好機を逃しかけていませんか。もっとミクシィを活用してトモダチの輪を大きく拡げることが可能です。多くの人の興味を引くページつくりを工夫し、どんどん活気ある投稿をしていきましょう云々。
こういうメールを、頼もしい励ましのメッセージととるか、借金の催促みたいに受け取るかは、その時どきの心模様しだいだろう。おれの場合は、もちろん…。
長く巨大なトラウマに打ちのめされた。以来、フェイスブックと聞くと、必ず、上のような体験を思い出すことが習慣になってしまった。
フェイスブックで「Fトモ申請」をしても返信のかえってこない人が何人かいる。その人のページは休眠状態にあるみたいだ。おれのような疎外感に苦しめられてのことかもしれない。「まさか、この人が」という驚きの名前を見つけて、リクエストボタンを押してみたけれど、「配達されない手紙」デジタル版になってしまっている。
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