懺悔録
某日、また別の版元とデジタル版の契約書をかわす。
こう書くと、商売繁盛みたいでもあるが、実状はもう「壊滅」に近いわけで。
要するに、この某社においても、電子書籍化は、出版デジタル機構への「委託」事業なのだ。制作プロセスは「発展途上」にふさわしく、不透明そのもの。著作者の当然の権利が、まず切り捨てられる。次に、手間ヒマかけて活字本をつくった版元の出版権が侵される。――簡略化していえば、このようなことがまかりとおっている。
当たり前の選択肢として、この現状では、自分の著作物のデジタル化はいかなるかたちにおいても断る、といった立場もありうるだろう。
デジタル化では、商品がバーゲンセールの品目として売られている。「著作物」という付加価値は、そこにはいっさいない。ここで、書物は「文化」であり、単なる「商品」ではないのだから、一定のリスペクトを社会から与えられるべきだ、といったような議論は的外れになる。文化価値論に依拠すれば、プライドは護持できるだろうか、現状をみる目がますます曇るだけだ。
端的にいえば、著作者への保障からまず「壊滅」していく。もうすでに「壊滅」している。
暫定的な結論として、わたしは、自前の力で「デジタル出版」を試してみることにした。
それが『五番町懺悔録』三部作だ。
関門はいろいろあったが、これは、初めてホームページを開設した時の、不安な気持ちに似ているようだった。あの時は、いろいろ強力にサポートしてくれる協力者がけっこういた。しかし、なにぶん自分の力量がとんでもない初心者だったわけで。そのかんのテクノ・ストレスは、想像を絶するものだったようだ。
ほぼ同時に、今はなき e-Novels での販売もスタートしていた。こちらのほうは、著作物をテキスト・データでつくったのみで、制作プロセスはすべて「やってもらった」。だいたい当時(10数年前)のわたしでは、プロセスの中味がろくに理解できていなかった。どれだけの部分を「協力」してもらったか、具体的なイメージがつかめないまま関わっていた。まことに鉄面皮というか。
e-Novels は、作家同士の協同組合的なネットワークだったが、わたしのような初心者がわりこんでいって、ずいぶん負担をかぶった人もいただろう。思い出すと心苦しい。
そのように、体験というにはかなり心もとないものだったにせよ、けっこう以前から「電子書籍」元年つづきの世界に、デジタル著作者としてつき合ってきたことになる。
その意味では、今回も、ごく自然の勢いで臨んだといえるかもしれない。
とはいえ、今回の「個人出版」は、まったくの協力者なしで、電子化作業を行なった。そこにまつわる不安やストレスは、やはり小さくないものだった。
たとえば、「一行アケ」の処理でも、横書きモードならテキストをそのまま反映するが、縦書きモードになると全部つまってしまう。行アケのレイアウト工夫した効果がすべて反映されなかったのだ。
これにはまいった。
縦書きはあきらめるか?
しばし呆然としたが、ホームページをつくるうえで、ハイパーテキストの「タグ打ち込み」を少しかじっていたことを思い出す。この作業の応用で、なんとかできんものかと試してみた。すると――なんとかなったんである。
基本的に、プログラミング言語のようなものは、どんな初歩的なものであれ、理解できない。これは、才能の質であるから、今さらどうしようもない。こんなわたしでも「なせばなる」んだな、と今は感無量(?)というところだ。
2014.12.09
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