更新日記2013.04.17
わたしという一人物のなかには、さまざまなわたしが、まるで身うごきもできないほどぎゅうぎゅうに詰めこまれており、その結果それらのわたしは、たとえ隣りにいるやつの挙動が、すこぶる気にいらないばあいでも、とにかく黙って立ちすくんでいるほかはなく、あたりにみなぎっているもやもやした不穏の空気さえ無視するなら、わたしのなかのいろいろなわたしは、ほとんどひとりのわたしのように至極おだやかであり、その点、昔からわたしは、詰めこみすぎたお客のため、ふくれあがった胴体を絶えず小きざみに揺すりながら、喘ぎ喘ぎ走っている、近ごろの省線電車さながらの光景を呈しつづけてきたわけだが、……
わたしという一人物は、読者の考えるほど、それほど単純なしろものではないのだ。一時、わたしは、わたしの正体を読者に知ってもらうためには、わたしのなかに住んでいるさまざまなわたしの意見を、いちいち煩をいとわず、列挙してゆくべきではないかとも思ったが、これはそうとう骨の折れる仕事であり、しかも次から次に、いろいろなわたしの意見があらわれるとなると、読者はどれがほんとうのわたしの意見だかいよいよわからなくなり、かえって労して効なき結果に終るだろうと判断した。……
つまり、これからは、わたしのなかにひしめきあっているさまざまなわたし――現存在としてのわたしを問題にせず、存在するものの全体を超えるわたし――どこにも存在していないわたしだけに、わたしという字を使えばいい、ということになる。たしかにこういうぐあいにわたしの意味を限定し、遠慮会釈もなくわたしという字ばかり書いてさえいれば、案ずるより生むがやすく、読者は、容易に、わたしというものの正体を了解してくれるにちがいない。
「わたし」花田清輝 1948.1
そして、わたくしまさしくくねくね入道ボイグ(影も形もない観念自体)になったのであります。だが――だが、わたくしがなったのはボイグの影形だけでありました。……真暗闇のくねくね入道になりきった筈のわたくし自身は、その後、新たな奇病にとり憑かれて、「おれはおれだ……」と叫ぶどころか一語も発せなくなってしまったのであります。
その奇病とは――断定と同一瞬間に、その断定とまったく同一の力強さと妥当性をもって、反対意見がおこるという病気であります。わたくしは誰からも気づかれず、また、誰にも述べられず、ひそかにその病気を飼っておりましたが、いやはや、まことに七転八倒、わたくしの薔薇色の頬は夜の花のごとく忽ち蒼ざめてしまった次第であります。「俺は……」と云いかけたまま、その頬がそれきり硬ばってしまうのがわたくしの症状だったのであります。敢えて云いきれば、凄まじい暴風。そして、その暴風は星もなく光もない宇宙の涯の真暗闇へまで吹いてゆくような気がする。……
わが親愛なるボイグはもう一度力強く「おれはおれだ……」と叫びたかったのでありましょう。けれども、ボイグはついに叫べなかった。そして、彼が敢えて不快を押しきって叫びあげたものは、訳も解らぬ不協和音に過ぎなかったのであります。
そして、それこそ、異常論理病から無理やりに飛躍しました「賓辞の乱用」であることに気付きましたボイグの胸中には、凄まじい嵐をもはや自ら自身とする哀れな覚悟が出来上がらざるを得なかったらしいのであります。彼ボイグはひき裂かれたこっちの「おれ」とあっちの「おれ」の間へ足をかけたまま無限に延びる一本のゴム紐のごときものになってしまった。彼ボイグはついに「ここかと思えば、またあちら……」といった正真正銘のくねくね入道たる自身をはっきり自覚するに至ったのでありました。
「即席演説」埴谷雄高 1948.3
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