電子書籍のサンプルはどこに?
文藝家協会の会報に「日本電子書籍出版社協会」からの、契約実務に関する質問の回答書が同封されていた。
興味深い事柄、初めて知る事柄が多々。
現在、当方は某版元と電子書籍刊行(刊行というかアップロードというか)に関して「係争中」であるので、余計に気になった次第。係争中といっても、深刻なトラブルのたぐいではなく、質疑応答のやりとりをかわしている状態だ。そこで、相手の言っていることがさっぱり理解できんという困ったことが生じている。
理解できんのは、①相手に誠意がないのか、②こちらの理解能力が不足しているのか、あるいは、③相手に現状の認識能力が不足しているのか。どれかの要因による。どうやら③らしいと推測している段階なのだが、これだと、相手がさらに認識能力を高めてくれることを期待するしかない。個人の能力の問題でもあるし、その個人の属している版元の客観的な力量の問題でもある。つまり、こちらとしては、対処できない領域に、この係争の解決点がゆだねられているといった様相なのだ。
わたしが本年になってフェイスブックなどを始めて、いろいろ時間をつぎこんでいるのも、きっかけのひとつは、この係争にあったわけだ。まったく冗談じゃねえよな、と思ったのだ。冗談じゃねえと思ったのは、版元(およびそこに所属する編集者)にたいする悪感情ではない。自分自身の電子書籍にたいする取り組み(用意でも気構えでも)の決定的な立ち遅れに関わっている。当方、著作権のある電子書籍は何点か流通しているとはいえ、その形態および実相については、ほとんど「無知」といってもよかった。
営業的観点からいって「無知」からの向上をめざす必要に迫られなかった、ということでもある。それではアカンと覚醒したのが、年の明けてからのこと。
文藝家協会ニュースの最新号に、電子書籍のデバイスをメーカーや電子書店が著作者に提供する(無償あるいは、レンタルで?)方向を協会は追求するべきではないか、といった議論の議事録が、提案側の意見とそれへの反対論とが鮮明になるかたちで掲載されている。正直いって、昨年段階のわたしには、この議論の具体性がまったく把握できなかっただろう。なにしろ、キンドル・ペーパーホワイトとキンドル・ファイアHDX8.9の区別さえついていなかったのだから。
今現在なら、少しはわかるレベルに達している。
自分でつくったテキスト・ファイルを ePUB に変換することは出来るようになった。使用するソフトによっていくつかのパターンはあるが、それらをいちおう試してみた。ePUB が出来れば、その電子書籍用データをキンドル・プレヴュアーで試し読みすることが可能だ。キンドル・プレヴュアーをPCにインストールしておけば、デバイスのキンドル製品なしでデータを読み出していくことは出来る。キンドル製品のほぼ実寸どおり、PCの画面に反映できる。
最低限というのかどうか。こういったことが著作者の個人的な環境のなかで、他人の手助けを借りることなく、わりと手軽に出来るのでなければ、現在の電子書籍環境のジャングル・フィーヴァーを切り抜けていくのは難しいように感じている日々だ。
いいのか悪いのか判断のつかないところもある。溺れ死ぬのか。それとも、我関せずを決めこむ(コンピュータ社会を拒絶する)のか。中途半端なままに、賞味期限の切れた引かれ者の小唄をうなりつづけるのか。当方の気質としては、三番目の選択は、どうも願い下げにしたい。
最初にふれた「日本電子書籍出版社協会」からの回答書にもどる。
冒頭に「全世界的に、電子書籍事業は未だ発展途上にあり」うんぬん、という文言。発展途上なる用語には、こういった使い途もあるわけだな。笑ってしまっていいものかどうか。無法はまかり通る、というふうにも解釈できる。「悪質業者」の話ではない。れっきとした官庁レベルにおいて「発展途上」状態を利用することが可能だという話だ。これをいいかけると、厳密に展開せねばならないので、今は保留にしておく。
回答書の項目3に、電子書籍の「見本本」を著作者に提供しうるかどうかの現状認識が示されている。要約すれば「提供することは出来ない」である。提供の方法は「今後の課題として研究を重ねてまいります」とある。この一行の真の意味合いは何なのだろう。「何もしないよ」の上品な言い替え言葉でないことは、切に望みたいわけだが。
そもそも「見本本」の提供が著しく困難になっている要因は、「発展途上」の現状そのものに複雑多岐にわたって根を張っている。これらを一挙に解決してしまえる方策はあるのだろうか。現状の回答では、著作者には「見本本」の提供を受けるという当然の権利を棚上げにしてくれと言っていることになる。「ご理解ください」というのは、まことに便利な言葉ではないか。これでは、電子書籍を拒否する著作者を大量に増加させることにしかならないだろう。
わたしの意見としては、電子書籍の「見本本」は必ずしも必要ではない。しかし、見本データを刊行前(アップロード前)に見ることは、著作者として必須の作業だと考える。自分の著作物が読者ユーザーの目にどんな「画面形態」で映るかを確認することは、著作者としての責任の一端であるはずだ。そうした権利および義務が、「発展途上」という建て前によって押し流されてしまうことは、何とも苦々しいかぎりだ。
「見本本」を見本データとして、ePUB ファイル(他のファイル形式でも同じ)として著作者が受け取ることは、現状でも可能ではないのか。そのデータに「この著作物はコピー不可」などの透かしスタンプをつければ、「転用・流失」などの事態は防げるだろう。受け取った著作者は(ノウハウを身につけているという条件つきではあるが)、データが電子書籍として展開される実像を、自分で見ることが出来る。これで充分だ。逆に、この行程すら否定されるなら、著作者にとって電子書籍とは、別世界で進行する不条理な出来事にすぎなくなる。
わたしが某版元をとおして要求しているのは、見本データ提供に関する、以上のような中間妥協案である。今のところ返答待ちといった状況だが、実りのある対応を期待しておきたい。
将来的に、文藝家協会の協会員に電子書籍デバイス(無償は無理でも、会員特典割引価格?とかで)提供されるような可能性はあるのだろうか。キンドル・ペーパーホワイトが古びた機種に転落(その日は近い?)すれば、あるいは起こりうるかもしれない。
アップルは iPod の製造にピリオドを打つらしい。あれだけ「世界を変えた」製品が十数年の寿命か。なんとも怖ろしい「発展途上」の世界に生きているものだ、われわれは。
2014.12.09
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