更新日記2013.04.11
すなわち、わたしたちとレーニンとの合致は、レーニンの伝統との連続性あるいは非連続性という問題を提起することによってではなく、わたしたちの時代の一定の社会構成体に固有の階級的観点の全体性から出発したときに初めて可能となるのです。わたしたちのレーニン主義は、結果なのであって前提ではないのです。マルクス主義の全伝統で継承されるのは、理論的問題ではなく、階級闘争なのです。闘争の外部で提起される理論、闘争が発展する場である特定の諸関係の外部で提起される理論、それゆえ革命的な物質力に転化しないような理論、そんな理論はマルクス主義の伝統のなかには存在しません。諸闘争の発展の内部で各々の社会的勢力が占める一定の位置取りから切り離された理論的問題など、マルクス主義の伝統のうちには存在しないのです。したがって、こんにちわたしたちはどの点でレーニン主義者であるのかという質問に対する唯一の回答は、非常に単純な形でなされるのです。すなわち、わたしたちがレーニン主義者であるのは、こんにちわたしたちが直面している特定の情勢の内部から、まさに転覆をめざす階級的観点をわたしたちが主張するがゆえのことなのです。もちろん、一連のレーニンの議論がわたしたちにより受け入れられ、普及させられるときもありうるでしょう。しかしそれは、あくまでレーニンの議論との対決の結果なのであって、その前提ではないのです。
『戦略の工場 レーニンを超えるレーニン』アントニオ・ネグリ 中村勝己・進藤孝・千葉伸明訳
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