更新日記2013.03.17
私的なものか公的なものかという排他的な二者択一は、資本主義か社会主義かという同じく有害な二者択一に対応したものである。多くの人が、資本主義社会の弊害をただす唯一の手段は、公的な規制と、ケインズ主義的そして/または社会主義的な経済管理であると考え、その反対に社会主義の病弊をただすには、私的所有と資本主義的な管理しか方法はないと考えている。けれども、社
会主義と資本主義は――時に両者は混合され、また時には激しく対立してきたとはいえ――ともに〈共〉を排除する所有制度であることに変わりない。本書で展開する〈共〉の制度化のための政治的プロジェクトをめぐる考察は、こうした誤った二者択一を斜めに横切り、私的でも公的でもなく、資本主義でも社会主義でもないものに向けて、新たな政治的空間を切り拓くものである。
今日の資本主義的生産と蓄積の形態は実のところ、資源や富の民営化〔=私有化〕を常に押し進めようとする衝動をもつにもかかわらず、逆説的に〈共〉の拡大を可能にし、場合によってはそれを要求さえする。いうまでもなく、資本とは純粋な指令の形態ではなく社会的関係である。その意味で資本の生存と発展は、資本の内部にありながらそれに敵対する生産的主体性にかかっている のである。グローバル化のプロセスを通じて、資本は地球全体を自らの指令のもとに集結させるだけでなく、経済的価値の位階制(ヒエラルキー)に従って生を秩序づけながら、社会的な生全体を創出し、包囲し、搾取する。
アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート 『コモンウェルス』 水嶋一憲監訳
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