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更新日記2012.08.03

更新日記2012.08.03

最終更新日2012.08.3
 最近、アントニオ・ネグリをかため読みして、暑さが半減している。
 あの個性はどうやって出来上がったのだろう。一ついえるのは、イタリアの権力機構は彼をテロリストの親玉として投獄することによって、不退転の〈帝国〉の墓掘り人アジテーターを「創造」してしまったということ。

『文学史を読みかえる・論集1』が出た。
 論考五本、いずれも労作である。しかし、オレ以外はなんでみな60枚書いてるんだ? たしか、おまえは30枚以上はダメとのきつく厳命されたような気がするが。
 文句はいうまい。野崎の「『青年の環』と反原発文学」は、『週刊金曜日』4月27日号の「野間宏の先駆性と洞察」と同趣旨の拡大版。抜き書きの引用がプラスされたもの。
 他に書評が三本。こちらも、気合いが入っている。
 書評は、谷口基の拙著『ミステリで読む現代日本』への批判的書評が、個人的なことであるが、とくに有り難かった。構成の全体にかかわる疑問点、0章と04章4「被害者の事件と加害者の事件」との対応の未消化という指摘に、なるほどと思った。ここまで踏みこんだ評は初めてだ。ずばり、後は、フロクだったのだな。どうも書いていて落ち着かなかったのは、そのせいか。とにかく、ぜんぶ網羅してやろうと意地になったので、途中で引き返せなかった。4を書いたら、当然5の天童荒太の項目も付け加えることになり、という肥大を繰り返してしまった。あれもこれもと欲張るうちに、0章が浮いてしまったわけだ。
 しかし、前もってそのような助言をいただいたとしても、愚昧なオレは耳を貸さなかっただろうな。包括的に論じるという義務感みたいなもので、0章は、まあ、手すさびって気分だったから。光市事件のような特異なケースにミステリの原理論は「奉仕」すべきだと思っていたけれど、それを拡大し、全面展開したほうが良かったということだろう。まあ、今さら書いてもナンだが。
 ところで、ここからちょっと困ったことになった。谷口の論考がブレているのだ。というか、そそっかしいオレが読み間違えた。具体的な作例をあげて「野崎がネタバレ」を書いていると論じている、とオレの目には見えてしまったのだ。「オレはヤッてないぞ」と冤罪被害者の顔つきになって反論を書こうと、ペンを手にした次第。ところが、よく読むと、反対だった。谷口はオレに「ミステリ批評のタブーをぶち破れ」とアジッているのであった。《一線を越えてほしかった》と。よくいうよ。
 それなりの手順と覚悟を踏んだらやる。一線でも二線でも越えてやる。現に『妖異金瓶梅』と『太陽黒点』では、やっちまった。
 だが、あまり爽快感はなく、後ろめたさ半分なのだ。ポストモダニストはオレのなかにも棲息してるって……。

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