近況 『黒石全集』を買った
あまり人前で広言したことはないが、ここ数年、「本断ち」をやっている。本を買わないのである。増えては減らし、減らしたそばから増える、といったシジフォスの日常から脱するための自衛策だ。その成果や如何――。いや、禁酒・禁煙のたぐいだから、ご想像にまかせます。
もちろん、超読・濫読・速読・精読・積読・五読といった労働まで断ってしまったわけではない。要するに、読み終わった本は、すべて右から左へ速やかに片づけていくのだ。
必然的に、わが貧弱な書棚に居座るのは、数度にわたる整理リストラをまぬがれた「古強者」ばかり。すこぶる新陳代謝は悪く、人生の秋そのままの室内なのである。
そこに、本年度、「本断ち」を破って、『大泉黒石全集』全九巻を買ってしまった。買ったということは、それを収めるスペースが必要ということ。わが書棚には、その九巻、幅にして約二十六センチの空きがない。空きがないから空きをつくらねばならない。そのスペースを占めている他の本に、新たな「戦力外通告」をくだし、蛮勇をふるって始末しなければならない。これがなんとも苦行であった。ああでもないこうでもないと、いくつも机上プランをひねること数週間。やっと約三十センチの空きをこしらえた。
かかる苦渋にみちた決意をわたしに強要したのは、いうまでもなく、黒石という怪作家のオーラだ。全集といっても選集なので、洩れている作品はたくさんある。忘れられた作家とはいえないが、基本的な書誌研究に恵まれているわけではない。一次的作業にあちこちまわる破目にもなった。某図書館では破損修理中の一冊を無理やり借り出してきた。梅原北明の雑誌、辻潤の雑誌を探し、大正期の文献のマイクロフィッシュも漁った。国会図書館の近代デジタル・ライブラリーからは、コナン・ドイルの「荒磯」を参照した。「アルハンゲリスクから来た男」のタイトルで知られるこの物語を、黒石は、最初の著書『露西亜・西伯利 ほろ馬車巡礼』所収の一話「露西亜の女」として翻案している。
……などとつまらん自慢話をしていると、会報の誌面をすべて埋めてしまいそうなので、ここまで。とにかく、禁を破った罪状の告解を、ここに記す、ってことで。日本推理作家協会会報2010.01
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