更新日誌2009.09.01
『インパクション』170号「反天皇制というレジスタンス」は、久しぶりに読み応えのある一冊であった(いつもはそうでない、といっているわけではないこともない)。
特集とはべつに、太田昌国の連載「60年代再考 精神のリレーのために」の今回分がとくに興味深かった。連載の基調は、60年代精神のバックラッシュを試みるものだが、今回、個人的なメモリアルの濃度がとりわけ強い。全体、なんというか、こんな褒め方をするとかえって著者に気を悪くされそうだが、アイザック・シンガーの短編小説に感心するような、数十年にわたる宿縁を一瞬にして解きほぐす言葉の魔術に打たれるといった、軽妙にしてしかもやがて重苦しい感動に立ち会わされた。
最近物故した太田竜と同姓であったことからくる名状しがたい不愉快から発し(?)、インタナショナリズムの困難な思想的課題に突き抜ける。そうした要請に沿った文章からなお、こぼれてくる余韻が得がたい。
「竜将軍」の物理的消滅を惜しむ者はおそらくいないだろう、たぶん。しかし、彼があまりに鋭角かつコミカルに演じつづけたイデオロギーの永久転向プロセスを、自分とは絶対無縁な悲喜劇だと嗤える者も少ないはずだ。
彼は変わりつづけた(変節という意味で)が、彼はついに変わりえなかった(自己変革という意味で)のだ。
そういう人物の訃報にさいして、何か一文をしたためねばならないところに立たされるのは、まことに鬱陶しい「仕事」であるだろう。世俗的な儀礼はほとんど関係ないし、といって、芸をもってすり抜けるのもおかしい。面倒さ、困難さを突破した思考の道すじが、ここには示されている。
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