更新日誌2008.07.16
身内の法事が丹波篠山であった。そのついでというか、長年の不義理をかさねている友人たちに遭ってきた。たいていは、子供たちが成人してしまって、あとは「年寄りだけ」の暮らしというスタイルになっている。昔のように風船玉的に自由なんだが、時節柄と寄る年波で「死ぬ前にあと何回遭えるやろかぁ」みたいな話にもなっている。
あちこち沢山のところを回る体力もないし。おまけに、京都市内は「祗園さん」の前でやたら人間があふれはじめていた。暑さも暑し。四条通りなんかは、久しぶりといった情緒とも遠い。市バスの乗り心地の悪さを思い出して、ほんとうに気分が悪くなりかけた。
黒谷近くの風工房に初めてよせてもらった。染色家の斜夢は、京都に根を下してしまった人物で、こちらの眼には奇特にも映る。以前の作業所を伏見の両替町につくったときも、びっくりしたものだ。そこで十年以上やって、現在の作業所に移った。建て替えのさいのさまざまな苦労の逸話を聞いたのは、まさに感動ものだった。黒谷に来た観光客の流れが旅行気分で覗いてきて困るという話がケッサクだった。手染めのシャツをプレゼントしてもらってしまった。
近くの花屋さんでおいしいおかきを買う。花屋でおかきを売っているというのがミソなのだ。
斜夢と五番町を見ていこうということになって、車で丸太町通りを走ると、ものすごい豪雨に見舞われた。とんだ「五番町通り雨」だな、と笑い合う。十年前にはたしかにあった石造りの「女郎屋」の建物もなくなっていた。千本日活は500円三本立てでまだあった。ゲイの爺さんのことを思い出していたら、隣が「老人デイサービス」施設になっていた。時代ですな。
帰りに、上七軒のレトロな昭和時代の珈琲屋に入る。店の名は、「しずか」。
なんといっても、今回の目玉は、宇治田原町の高尾(こうの)の隠れ里を案内してもらったこと。急にもちあがった話で、宇治川をさかのぼって天ヶ瀬ダムを過ぎ、「あの山の上まで行くねん」と告げられたときはもう手遅れ。乗る前から見当がついていたら、口実をひねりだして断っていただろう。運転手は大工の順ちゃん、再会するまで運転免許を取り直していたとは知らなかった。なんせ、ナントカ罪で免許を剥奪され、「もう一生、車には乗らん」と言っていた男だ。同乗の郷土史家(と紹介された)がいたので、いくらかは安心だったが。狭くて曲がりくねった山道を軽で、四人乗りで行くのだ。うちの夫婦は軽量級だが、他の二人はかなり重そうだ。小回りはきいても、上れるのかどうか心配だった。
後できけば、標高にして五百メートルもない。それが千メートル以上も上ったような迫力のオソロシサだった。
高尾隠れ里は梅林の名所。あいにくと曇り空だったが、京都・生駒方面の展望は素晴らしいのだそうだ。弘法の井戸というところまで行った。ここで梅干を、むこう十年は毎日梅茶漬けを食えるほど、大量に買いこむ。
隠れ里というくらいだから、陸の孤島みたいな集落だ。人口は五十人ていど。梅の花の季節は壮観な眺めだろう。たんなる「過疎の村」ではない。昔の「落ち武者」の末裔だとかいう話だが、どうもうまく頭に入らなかった。
それから近くの猿丸神社まで足を伸ばし、お参りする。ここは、紅葉の名所のようだ。
さらに行くうちに、自動車の警告ランプがつき、ノッキングを始めた。運転手も何のランプかわからんと言うし、これには焦ったね。近くのサーキット場「近畿スポーツランド」まで辿り着いて、厚かましくも状態をみてもらう。
それからようやく下り坂になり、養鶏センターの横などを通過して、国道に出た。しばらく人里離れた山道を上下して、下界に降りてきた気分だった。
宇治市内方向に走って、「宇治茶の郷」で買物。地元の野菜が、ともかくやたらに安い。地野菜の買いこみは何とかあきらめさせたが、宇治茶いろいろは蔵が建つほど買いまくって……。
予定にも計画にもなかった宇治田原町行き。
これが一番の収穫であった。
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