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第十二回 十月三十一日 最後の試練

第十二回 十月三十一日 最後の試練

 その時ほど焦ったことはない。わずか三十分。されど三十分。まったく永遠にも近い三十分。
 朝の六時半から七時。
 出ないのだ。
 こんなにも長く出ないことが……。
 そう、シモの話なんである、じつは。厭な人は、ここでやめてもらったほうがいい。
 さて――。
 前の日に出なかっただけだから、そんなにひどい便秘ではないと思ったが。
 臨場感――この言葉は合わないか。要するに、出そうな感じは、朝、あったんである。便の立場でいえば(代弁しておけばってこと、下手な洒落か)今にも外に出られると身体で感じている状態だ。だから早めに済ましておこうと……。
 甘い見通しはさいしょの十分くらいで砕かれていった。シモのことが脳細胞の思考内容を左右するとしたら、これはよっぽどのことだ。他の人は知らず、わたしに関しては、消化器系統なら何の心配もないと検査結果が出てきたばかり。それに、便通に苦しんだ経験などないのだ。
 今までにないくらいふんばった結果、二個のかたまりは出た。蓋のように出口をふさいでいたかたまり。これが出れば、あとは順調にいくはずだ。経験上、そうなっている。ところが……。
 ここからまったく止まってしまったのだ。こんなことは前代未聞だった。
 詰まったまま。
 息をとめてはいきばる。その繰り返し。限界にきた。
 単純な手段では駄目だ、と考え始める。
 頭のなかはパニックに近づいている。どうにかそれを押さえて別の手段を講じていく。
 まずウォッシュレットを試した。水鉄砲による肛門刺激だ。これを使うのはあまり好きでない。その時は刺激剤として、肛門付近の筋肉を緩める(あまり根拠のない非科学的な発想だ)つもりだった。しばらく水流が括約筋を叩くのにまかせた。
 もともと期待はしていない。こんなやり方じゃ駄目だろうなと半分あきらめて洗浄ボタンを押したのだ。
 効果なし。効果なしを確かめる。
 確かめたところで、もっと直接的な手段に移る。指を突っこむのだ。
 とかんたんに言っても、ね。病院で使っている透明手袋がどんなに欲しかったか。それは手の届かないところにある。どう足掻こうと、ナマで突っこまなきゃならんのだ。
 ……手首を斬って自殺を試みる者には、たいてい「ためらい傷」があるそうな。それと似たようなもんだというのは我ながらおかしいと思うが、手の指はひといきに穴に埋没していく前にその周辺を探ったのだ。「探った」というのはおかしいと言うなかれ。ともかくためらうように尻の穴のまわりを、指がおずおずと撫でていったことは、不自然でも何でもない。そう、結果的には、こうして肛門の異常が触知された。触ってわかったのだ。
 こうなるまでに、まあ、指を突っこむより両サイドから穴を広げるほうがいいかと、ためらいを正当化するような案も試してみたんだろう。それでわかった。
 肛門の出口のところがおかしい。
 何と、横向きにかたまりがあるのだ。
 肛門の両サイドにしこりがあって、それはどう触っても横向きになった便のかたまりなのだ。
 ふつうかたまりは筒状にタテになって出てくるものだ。これがヨコ向きになっていて、しかもすごく固い。これじゃ出ない。赤ん坊の逆子なら聞いたことがある。大便の横向きなんて初めてだ。たとえが不適切で申しわけない。それくらい焦っていたのだ。
 事態を把握したあと、いちおうその対策は講じた。
 外側から肛門周辺を押したり引っ張ったりして、このヨコ向けをタテ向けにしようと試みた。うまくいかない。虚しく指が汚れただけ。
 トイレットペーパーで指を拭きながら、べつのことが不安になる。すでにペーパーを使いすぎている。――この便器はついこないだまで故障中だった。ペーパーを流しすぎて詰まったのだ。あまりペーパーを使ってその二の舞をするわけにはいかない。
 便器も詰まり、使用者の糞便も詰まり……そんな状態で発見されたくない。
 ここはいったん流しておこう。
 便器を流してホッとしたが、問題はいっこうに解決していない。便は最高に出たがっている状態でありながら、出口をふさがれている。頑固に出口をふさいでいるヨコベンを排除しないかぎり本体が出てくることはありえない。
 ここは最後の手段、浣腸しかない。
 三十分の苦闘の末、選びえた結論はこれのみだった。しかし――。
 シモ半身をさらしたままわたしは思った。おれはこのままみじめに看護婦さんに浣腸してもらうのか。
 一ヵ月の入院期間中、わたしの肉体は一人の患者のものとして大した感動もなく扱われた。こちらの秘部とは、こちらがそう思いこんでいるだけで、医者や看護婦にとってはたんなるパーツだ。そうだった。今さらわたしが肛門やナマ尻を見せたって、看護婦さんにとってどうってことはない。だがわたしにとっては、見られることは、大げさにいえば個人の尊厳につながっているのだ。たんなる恥ずかしさではない。「この肛門」は、とば口まで糞便が出かかっている特別の肛門だ。このまま座って、浣腸してくださいなんて頼めるもんじゃない。
 わたしは悲壮な決断をくだし、排便行為を途中でやめることにした。とにかく中途半端でも肛門は拭く。出かかった分は何とも形容しがたい気持ちの悪さだけれど、我慢してしばらく体内にとどまってもらう。洩れだしてくることはありえないにしても、歩きにくい感じはする。
 そしてナース・ステーションに行って、事情を説明した。詳しいことは省く。三十分も奮闘したのに出ないから浣腸してもいいかどうか、訴える。してもらうのではない。自分でする、というのが力点だ。自分でするのでなければ、苦労してトイレから出てきた甲斐がない。
 先生に確認するあいだ少し待たされたが、すんなり許可は出た。そして使い方を教えるので、自分でやっていいと。
 ……以下、略して。
 その後は、無事に出ましたと報告するにとどめる。
 ああ、一ヵ月の入院生活の「有終の美」を危うくかきみだすところだった小事件も、これでやっと落着したのである。
 夕方、M氏とN氏が面会にきてくれたと後で聞いた。申しわけない。なんでもう一日、入院していなかったかと責められた。無理だよな。

to be continued

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