『煉獄回廊』削除部分 40章
序曲は終わった。
舞台がふたたび漆黒に包まれると、日置高志は、この先の展開をおおよそ知ってしまっているような奇妙な感覚にとらわれた。すでに観たことがあるのではなく、あらかじめ知っている場面が演じられることを確信できるような、不可思議な予測だった。何の根拠もないことは、かれ自身よくわかっている。いちど観たことがあるのではなく、なんども経験した親しい世界に連れもどされていくような恍惚と怖れとが半ばする、きらきらと刺のある官能がかれを包みこんだ。
序曲がすべてだったというのは、病院の患者たちでやった芝居については真実だ。それ以上の展開は、結局のところ蛇足だったのではないかと、かれは、天馬団の舞台を前にして初めて思い当たった。芝居の主人公がさまようという設定はプロセスなのであり、内実が必ずしも伴わなくてよかったのだ。演劇の決まり事といってしまえばそれまでだが、伝わらねばならない情念の焔はオープニングに尽きていた。
気味が悪いほど相似している二つの芝居だったから、序曲の先について不遜な予測をかれが抱いたのも当然かもしれない。しかし予測が不当な想像を含んでいることを知らないわけではなかった。それを打ち破られることを待望し、かれはつづくシーンを待ち受けた。
さいしょに出てきたのは、やはりカラス小僧だった。舞台の――舞台ではない土間だ――土間の、ほとんど脇のあたりにじっとうずくまっている。絞り出すように言葉を発した。うめきともつぶやきともつかないせりふは、叫びよりもずっと聞き取りやすかった。
――おれの足は松の木の根のようになって、青い血管が走る。おれの腕は木の枝となって鳥たちが止まる……。空が赤い、空が赤いぞ。
途中からカラス小僧は立ちあがり、身体ぜんたいを目一杯ふくらませるように両足を踏んばった。言葉が絶叫に高まっていき、ほとんど耳をきしませる金属音に変わる。小さな肉体の殻を突き破って、新しい身体を誕生させようと身悶えするように激しく震える。震えから発される悲鳴はすでに、アーアッ、アーアッ、と人間のものではなくなっている。
鴉だ。鴉の叫びだ。
そのとき、舞台の中央、ほとんどテントの頂点のあたりの扉が音をたてて開いた。ピンスポットがあてられる。挺身隊の女だ。弟を呼んでいる。おまえ、どこにいるんだい。おまえ、どこに……。
二人は同じ舞台に登場しているのに、互いのことが見えない。舞台は、土間とそこから一段高い本舞台とから成っていた。本舞台は、中央と左右の袖と三層に分かれているようだ。それとは別に、さらに、上方に自在に役者の現われる場所がつくられているのだろう。テントを支える鉄パイプは、天井の暗闇でジャングルのように入り組み、まったく異相の空間として使われてくるのかもしれない。土間と高台とに姿を現わした姉弟は、次元のちがう世界に互いに囚われているということだ。
迷路がかれらを隔てている。
芝居がすすむにつれ、迷路の錯綜は手のつけられないほどに拡がってくる。かれらが彷徨して、出会う人物たちみなすべてが、二重の役柄を帯びていた。みなが自分のなかに身を引き裂くような迷路を仕込まれていた。男‐女、女‐男、と綾取りを無限に織っていくように、一つの迷路はべつの迷路に投げ渡されていった。
芝居を形作っているドラマの時間は、現在と過去の状況とが背中合わせになったものだと了解できてきた。過去とは戦時中のことで、三十年以上の落差があった。本舞台の中央にある半円形の平台は回転式だった。それがぐるりと回ると、芝居の時間も一転して現在と過去とを入れ替えるのだった。回転舞台のはざまは奈落なのだと、かれは気づいた。迷路を構成しているのは時間だった。逃れようのない迷路とは時間だという基本構造は、かれには容易に理解できるものだった。
回転舞台による時間の転換は、ごくわかりやすい仕掛けだった。ぎらぎらとしたキャバレーの喧噪が、一転して、軍隊慰安所の薄暗い小部屋に変わる。どの人物もが、現在と過去の合わせ鏡になった奈落をかかえて、憤怒の出口を捜していた。かれらはそれぞれ夥しい因縁を持って交差していくけれど、互いの真実を見つけ合うことは永遠にありえないのではないかと思われた。
日置高志は、かれらの眼から放たれていた透明な飢餓の正体をつかむことができたと思った。それは恐ろしく清澄な孤独だった。仲間といても、いや、仲間と信じられる者といればいるほど、この者らの孤独はいっそう尖鋭に募るのではないか。果てもない飢餓だ。抗しようもなくそれらの純化された孤独に魅かれつつも、かれは、己れのなかの共感の根を、このときほど厭わしいと感じたことはなかった。
……時間はねじくれた迷路を呈しているだけのことではないか。さして珍しいことではあるまい。いちいち心を打たれていてどうするのか。踊り出てくる役者たちはみな亡霊だった。おれは亡霊になど心をさらわれるつもりはない。亡霊の仲間などではないのだ……。
逃げろ。
芝居のなかに引きずりこまれていくのと同じ強さで、かれは本能的な警告を自分のなかに鳴らしていた。いつも逃げてきた。こんどもそうするべきなのだ。あんたはどこまで行きたいの、と行方未知はいった。おれはどこにも行けないと思うと答えた。彼女はおれを裏切ったのでおれはおれが逃げたことまでも正当化できると考えてきた。だから……。
しかし日置高志は動かなかった。動けなかったのだ。 ……迷路はつづいていった。表面的な救いようのなさにもかかわらず、芝居そのものは猥雑なアクションにみちていて、理屈抜きに楽しませ笑わせる場面の連続だった。身体は石を背負ったように重く、その場から立ちあがることができなかった。
山伏は、子供たちを人買いに売る周旋屋であるくせに、一方で、南朝正統の天皇の末裔を名乗っていた。こいつの子分たちは、いつも軍服を着ているか、病院の白衣姿かどちらかだった。天才青年作家を自称する男は、裏にまわると、庶民たちの戦争協力がなっていないとがなり出す草の根右翼だった。旅芸人の男と女は、劇中劇で、瞼の母と番場の忠太郎を演じる。舞台が回転すると、瞼の母は従軍慰安婦として酷使されていた。旅芸人一座のホモ男は、ゲイの解放を訴える裏で、慰安婦たちの監視人だった。
奴隷商人たちが木箱に詰めて慰安婦を運び出すところに、乱入してくる中尉は、二・二六事件で処刑されたはずのテロリストだ。瞼の母を演じた芸人の慰安婦は恋人だったのだ。どろどろとした怨念をふりまく中尉の口から吐き出されるのはおぞましい呪詛でしかない。場末のキャバレーで働く黒人混血のボクサーと酒場女とは回転舞台の片側にのみ住んでいた。その数は少なくても、閉じこめられた時間軸を、現在か過去かどちらかにしか持たいない者もいる。
やはり、せりふは半分ほどしか聞き取れないが、進行はおおかたわかった。さまざまな運命が連鎖していって迷路は深まるばかりだった。
亡霊たちは、天井から、花道から、土間の脇から、回転舞台の裏側から、あらゆるところから踊り出てくる。入口は無数にあっても、出口を見定められない世界が目の前に投げだされていた。
カラス小僧がギターをかかえて唄うエレジーが印象的だった。心にしみいる歌だった。
――まぼろしの街があるんだと
……ブリキの月光に照らされて
襤褸の楽隊が……
だから、死んだ馬にまたがり……
けれども小僧の行く手は阻まれる。カーン、カーン、カーン、無情の踏切りの信号が鳴りだして、ふたたび奈落に突き落とされる。耳をふさいでも音をしめだすことはできない。悪魔のような赤い点滅がまたたいて、かれを永遠に立ち止まらせる。行きつ戻りつの迷路の執拗な罠、かれはまるで自分の姿を見るようにカラス小僧の醜い身体から目を離すことができなかった。
踏切りの音を聞くと狂いだす。芝居の人物とまるきり同じような仕掛けが、おれのなかにもきっと埋めこまれている。きっと……。
やがてまた舞台が暗転した。これでフィナーレになるといわれても信じるくらいに長い長い時間を観てきたような疲れがあったが、それでも、まだもっと観ていたいという欲求も消えていない。チェーンを鉄パイプに叩きつけるリズミカルな音が響いてくる。眼が、たくさんの眼が、漆黒のなかに浮いて漂っていた。オープニングと同じ質量が舞台から発されてくる。役者たち全員が舞台に集結しているのが感じとれた。
歌が始まった。
またあの歌だった。あのブルースだった。鉄鎖の音によって、さらに興奮が高まっている。
明かりがあがった。鎖につながれている者たちを制帽を目深にかぶった白衣の男たちがいたぶっていた。そこは牢獄ではない。病院、精神病院だった。虚構の劇空間のなかに忽然と出現した病院の光景に、日置高志は、当惑させられた。鎖につながれた病棟というあまりにありそうなイメージのつくりを観て、少しだけ失望しなかったといえば嘘になる。話をわかりやすくする誇張を施してしまえば、たいてい、精神病院という場所はこうしたところになるのか。看護人は、ファシストで患者を暴力によって隷属させ、服従させている。そんな病院がないとはいえないが、それをふつうの光景だとされるのは抵抗があった。
芝居の設定では、主要な人物たちの帰るところはすべて鎖につながれた病棟だったのだ。人物の二重底は、病院という共通の場に流れこんでいることになる。亡霊たちに患者という側面がつけられたことは、かれにはいくらか不満だった。このように便宜的に精神病院を使うということは、とりもなおさず、役者たちは贋患者を演じるほかなくなり、病院にたいする無知をさらけ出してしまうと思われたのだ。
けれども、かすかな不満も、歌のもたらす強烈な昂揚によってすぐに弾き飛ばされてしまう。いつの間にか身体が勝手にリズムに同調しだしていた。――唄え、たった一つのブルースを。娼婦、狂人、乞食ども。
いくども繰り返されるリフレインにさしかかると、かれもいつしか怒鳴り声で唱和していた。歌詞は聞き取りちがいの勘違いかもしれなかったが、少しくらいの誤差は気にならない。明らかにオープニングの感動が数倍にも増幅されて迫ってきていた。亡霊たちが招きよせている。贋患者たちめ、騙されるものか。精一杯の抗議を試みるが、弱々しい違和感は、あっという間に跳ね飛ばされていった。
歌が終わり、暗転になった。ふたたび遍歴の場面がつながってきたので、日置高志は、ここからが後半なのだと納得した。長くて重い芝居がまだ連なっていく。
中尉が出てくるが、何度目か、売られていく恋人を救助することに失敗する。女を閉じこめた箱は宙づりにされて彼方に消えた。あとに残るのは助けを求める空しい叫びだけ。地団駄踏んで悔しがるけれど、叫びは戻らない。この男のせりふは、とくに甚だしく、聞き取れなかった。そのくせ登場すると、五体から妖気が噴きこぼれてくるようで、座を一瞬にして制圧してしまうのだ。存在感のみでいえばカラス小僧をはるかに凌駕している。凝然と立ちつくす中尉の背後に音もなく回転舞台がまわってきて、その壁にはぼんやりとした人影が二つ描かれているようだ。
スポットがあたるとそこに、パネルいっぱいに引き伸ばされた弄劣なエロ写真がぬらりと姿を現わしてきた。それは、ヒロヒトがナガコをバックからつらぬいて戯れている性交シーンだった。明らかに顔だけをすげかえた合成だったが、代役に映っている二人の身体は不健康にたるんでいて、妙なリアリティを放っていた。日置高志は、似たような写真や漫画などはいくつか見せられたことがあったのでモノ自体にはさして驚かなかったが、これほどでかく等身大を上回る大きさのものは初めてだった。
「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び……」
バックには雑音のひどい玉音放送が流されてくる。すでに何度となく聞いたことのある、天皇による終戦の詔だ。
中尉がゆっくりと振り向いて、パネル写真に目を止める。目を止めたまま動かない。やがていった。
「絵のようにっ」
といっていたのか、「陽のように」だったのか、「屁のように」なのか、「生のように」だったのか、全然わからない。一語ずつにツバが飛び、促音がはさまって、「◎ッ・ノッ・ョウッ・ニッ」にしか聞こえなかった。中尉がいつの時代にいるのか、このシーンからは見当がつかない。
中尉はパネルに向かって罵声を浴びせはじめた。言葉のほとばしる勢いから罵りなのだとわかるだけで、例によって何をいっているのかはまるで耳に残らない。おいたわしや、おいたわしや、と聞こえたような気もする。ひょっとして臣下として見るにしのびないと訴えているのかもしれない。皇室にたいして「不敬な」意図を示すためにエロ写真を利用するのはつまらない戦術だといわれている。品がないからだ。そんなことは承知の上でかれらはあえて下品な戦法をとっているのだろう。とすれば中尉のせりふは是非とも聞きもらしたくないのだが、あいにくと言葉を少ししか拾えないのだった。
「何たることを。何たることを」
せりふの途中で、中尉は激昂して小柄な身体を弾けさせた。手に持ったものを投げつけたのだと気づいたのは数拍遅れてからだった。身体ぜんたいがバネにように跳ねて見えたので、腕が鋭い弧を描いたところだけ単独にとらえられなかったのだ。殻の大きさなど関係ないかのように中尉の肉体は舞台を圧しきっていた。何かを投げつけた拍子に、かぶっていた軍帽が落ちて、ころころと転がった。頭頂をすっかり剃りこんだ長髪があらわになる。剃りを入れたところ以外は肩までとどくほどの髪がグレイに染められていた。
中尉はふたたび身体を弾けさせて、何かを投げつけた。投げつけられたものがパネルにあたってピッと赤い花を咲かせるのが明瞭に見えた。赤い花はべっとりと、天皇と皇后の顔を濡らしていた。赤い塗料を入れた小さなビニール袋のようなものをぶつけて、破裂させたのだとわかった。
いきなり中尉は跳びあがって、次の瞬間には蛙のような姿に這いつくばって土下座していた。履いていた編み上げの革ブーツが鋭い悲鳴をあげるのが聞こえる。
「おいたわしや、おいたわしや」
振り絞るような低いうめきのために、今度は、明瞭に言葉が伝わってきた。
天皇を愛惜し、かつ一方では、弾劾するという相反する振幅の感情を、この男は弄劣な細工を施された「ご真影」に向かってたたきつけていたのだと知れた。
憎悪と愛惜とどちらの感情が勝るのか、かれにはとうていわからなかった。天皇をそうした対象として考えたこともなかったのだ。ただここに集約された一人舞台に、『月狂叛乱者のオペラ』という芝居の中心の思想があることだけは、疑いようがないと思った。
うめきが途絶えると、中尉はふたたび跳びあがって立ち姿に戻る。身体が二倍になったようだった。何たることを、何たることを、と繰り返し、ケーッと奇声をあげた。ツバを飛ばすと同時に、手に持ったものをパネルに叩きつける。小さな音をたてて赤い花が咲く。
「鬼首!」
「鬼、ええぞ」
客席から声がかかった。
舞台が暗転した。それとほぼ重なって、バックファイヤーのような音がした。かんしゃく玉の連打なのかどうか確信できなかった。鬼首の立っていた胸のあたりで赤い火花が散った。苦悶の声とともに倒れる音がした。それから暗闇のなかを何人もが気配をしのばせて行き来する物音。しばらくのあいだ……日置高志は、もし銃声が芝居の効果音でなかったらという想像で、恐怖の汗を垂らした。
天皇を処刑する。明瞭に、聞き違えようなく、かれらは表明した。しかし常識からみて、処刑されるのはこうした不逞な連中のはずだった。鬼首がこの場で処刑されるのではないか。そう思ったほどの恐怖があとから迫ってくる。
闇のなかでボッと何かが燃えあがった。薄く照らされた舞台はもとのまま。無人で、血に汚れたパネルだけがあった。
回転舞台がゆっくりと回りだす。明かりがあがってくる。パネルの天皇は消えた。裏側の舞台のうえには山伏の男がいた。紅色の派手な綿入れのようなものを羽織っている他は、下半身むきだしだ。便器にまたがった姿勢で大きな丼からなかのものをむさぼり食っていた。口から鼻からウドンが一本、二本と垂れさがっている。音をたててすするそばからウドンが、鼻の穴をつたって垂れてくる。無言だった。周囲を見回す眼からは理性のかけらもなくなっている。げっぷをしたとたんに口のなかのものが盛大にまき散らされた。次に、尻の穴に手をやってこすり、指についたものをしげしげと眺めてから、それをいとおしげに舐める。さも気持ちよさそうな笑い声が、ウドンの切れ端とともに吐き出されてきた。
看護人がやってきて、スキンヘッドをぴしゃりと叩いた。舞台は病院の小部屋に変わったらしい。こいつは南朝正統の末裔を名乗っていたはずが、やはり病院にも入っていたということだったのか。
迷路の番人を自称しながらも狂人の仲間でもあるという錯綜は、にわかに腹には入りにくかった。
なお、芝居はつづいた。ボクシングの試合から歌謡ショー、劇中劇まで、色とりどりの趣向が盛りこまれる。突きつめたイデオロギーとは別個に、天馬団は悪辣なばかりに芸能と娯楽の要素で武装していたのだった。
いったんは錯乱する醜態をさらした山伏だったが、あとは悪役としての役割を鮮明にしていった。亡霊たちの二重性を断ち切るためには、こいつを排除する以外に方法はないということが、展開を追うにしたがって明確になっていった。これは遍歴に始まり、遍歴に終わるといった芝居ではなかった。さいごには南朝天皇を自称するこの怪物を倒すところまでいかないと、封印は解けないというドラマの完結したかたちが次第にあらわに剥がれてきた。
完結のかたちはオープニングから明らかだった、と日置高志は思った。そして決着をつけるのはカラス小僧でなければいけないのだ。
次つぎと迷路は解かれ、番人は追いつめられていった。対決は短く済んだ。悪役は滅ぼされねばならないの法則のとおり、山伏は倒された。カラス小僧は不具の身体を踊りあげるように、腰だめにしたナイフで体当たりしていった。腹に深々とナイフが突き刺さる。苦悶に舞いながら山伏は舞台の袖へとよろめいていった。
にわかにガソリンの臭いがツンと迫ってくる。
両脇の舞台が弧をかいてうしろに下がっていく。回転舞台のまんなかの障壁が取り去られ、ただの丸い床板に変わる。床板はレールに乗っていたのか、そのまま真っ直ぐに後退していく。舞台の後ろをおおっていたテント地が音をたてて跳ねあげられる。遮蔽のなくなった向こうに西部講堂の古ぼけたたたずまいが荘厳に横たわっていた。
音楽が始まってきた。あの歌だ。あのブルースだ。
――血狂いと錯乱の 時のとき
蒼ざめた刺客道 冬のふゆ
……こんどは明瞭に歌詞をとらえることができた。
役者たちは手に松明を持って、踊り狂わんばかりの様子だった。舞台はすべて取り払われ、その先にはどこにも見つけられなかった荒野がひらけている。断ち切られた迷路のあとには何もない空間がつづいている。錆びの浮いた軽自動車が斜め後方にぽつんと置かれていた。炎がゆるい弧をかいて車にぶつかり、ぼこんっと鈍い音を響かせる。ほとんど連続してガラスの砕ける軽い音がつづく。聞きちがえようのない、あの火炎瓶の炸裂音だった。人影が車に群がって、次つぎと火炎瓶を叩きつけていく。それから中央に立てられた杭にはりつけにされた恰好の人形に、おごそかに火がつけられる。
人形がめらめらと燃えたった。
歌声が高まってきて、あのリフレインにさしかかる。 殺せ。殺せ。殺せ。
ヒロヒトを殺せ。
目まいのような恍惚が一瞬かれの身体を駆け抜けた。焼き殺すのか。本当にやるのか。想像をこえた行為に思えた。恍惚は恐怖に裏返って、そのときもし立っていたならくずおれてしまったに違いないほど、足をすくませた。ほんとうに殺すのか……。
燃えあがる人形に、かれは、このまえ教えてもらった船本という男の生き死にを重ね合わせ、また、六年前にすぐ向こうの東大路で炎上して戦死した学生の姿を思い出した。処刑はたしかに為されたのだ。それに対抗するための模擬死刑なのか、これは。
……日置高志は、考えることを放棄した。考えているときなどではなかった。五感が極限にひらかれているさいに思考は働きようがなかった。
夜の闇が七色の焔の輝きに照らされて渦巻いた。
脱出のための、患者たちとの芝居は、かれになにものをももたらさずに終わった。病院を出たいという答えだけなら、芝居がなくても知れていたことだ。日置高志は生まれて初めて、自分があとについていくことのできる集団があることを理会した。何も喪うものはなかった。すでに喪ってしまったもの以外は。
不安は足元に置き忘れた荷物だった。帰るべき巣がここにあると信じられた。
やっと見つけた。白い馬が駆け抜けていったまぼろしを見つづけてきた結果かもしれない。出会ったのは燃える人形だった。めらめらと燃える七色の、虹色の人形。天かける翼を持った白い馬の替わりに「あの男」を擬した人形があった。バリケードのなかでも見つからなかったもの。そのあとの政治の季節にも、もちろん見つからなかったもの。やっとそこに辿り着けた。
おれはだれの助けも借りずにこれを見つけた。見つけたのだ。
フィナーレのもたらす極度の狂騒と興奮のさなか、日置高志はしかし、生まれたばかりの胎児のように深く静かな安息に包まれていた。
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