更新日記2007.12.02 幻滅の過去
フランソワ・フュレ『幻想の過去』を読む。
書かれていることは新奇な認識ではない。すでにここ十数年、ある種の精神圏の者らをとらえて離さなかった苦い幻滅に関する整然たるレポートだともいえ る。多かれ少なかれ逃れることのできなかった深い「世界観転落」。覚醒とはとても認められないだろうが、この本の著者によれば、他の言葉はあてはまらな い。
illusion の訳語は、幻想と統一されているけれど、幻影であったり、幻滅であったりする。
前世紀をほぼ覆い尽くした、コミュニズムという希望、もしくは信仰。それらが最終的に敗れ去った後に書かれた貸借表。ヨーロッパ中心の記述ではあるが、この国で起こった愚行への分析としても充分に成り立つ。
そういった意味で、本書の価値を軽んじるつもりでいうのではないが、ここには新しい発見は何一つない。歴史的過去に学ぶべきものはないのだ。ただ幻滅のみが並ぶ七百余ページ……。
次の一節はルカーチについて書かれたもの。
ルカーチは単に敵に敗れただけではなく、味方にも敗れた活動家となって、コミュニズムの歴史を生き抜き、 単なる旅行者としてではなく、常に現場に居合わせた証人となってソ連を体験した。実体のない知識人世界の希薄な空気を後にして、大衆との連帯を求めることを決意して以来、ルカーチは殆ど否定と孤立以外のものを経験したことはない。それでも、たとえいかなることがあろうとも、彼はスターリンの社会主義が自由主義的民主主義に対し本質的に優越するものであるとする思いを捨てたことはなく、ましていわんやボリシェヴィズムのイデオロギー的基盤を疑問視するようなことは決してなかった。彼が抱懐したコミュニズム思想に比べるなら、彼自身の人生など大した問題ではなかったのである。ルカーチは、繰り返し行ってきた自己批判がすべて誠実になされたものであると死の直前まで断言し続けたが、そんな彼の言葉を信じない理由は何もない。
これは、主語をたとえば花田清輝にさしかえても、そのまま適用できる。
つまり「一国社会主義」という奇怪な教義に殉じた知識人なら、どの国にも無数に存在したということなのだ。
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