激戦の日本読書新聞など 8
1983.1
黒人文学論、それも黒人女性文学論をトップにもってくる紙面は、硬派の書評誌といえど、かなりの英断だったと思う。
それも当方は、大学の研究者でも何でもない。
それでも、与えられた枚数の少なさにがっかりしていたのだから、傲慢無礼さだけは一流以上だったみたいだ。
トニ・モリスンの翻訳はいくつか出ていたけれど、ノーベル文学賞をとって、日本でも選集が出るのはもっと後のこと。
大衆小説の『カラーパープル』が評判となり、スピルバークによる映画化でさらに大衆化する、といった歓迎するべきか
否か判断に迷うような状況が出てくるよりも以前のことだ。
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