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『同時代批評』時代 10

『同時代批評』時代 10

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 16号 表紙と裏表紙。
 14号から15、16号実現までの長い空白期に、ずいぶんと多くの原稿を用意し、それらが期限切れになって代替の原稿にさしかえる、といったことを繰り返していたような気がする。
 最初は座談会にかりだされたが、わたしは『愛のかたち』を書いた頃の武田泰淳のように重たい沈黙の底に沈んでいて、ほとんど座談メンバーの用をなさなかったようだ。明け方近く別れるさいに、「あんたはほんとに喋らん人だね」と岡庭さんに呆れられたのを憶えている。岡庭さんは、そのまま寝る時間もなく、ベストセラー『飽食の予言』のプロローグに描かれた、背曲がりハマチ養殖現場へのロケに直行した。
思えば運命の夜だった。ほとんど発言もできない鬱屈から顔をあげられなかった自分を後から責めたが遅かった。
結局しかし、座談会記録は活字にはならなかった。
15号はマボロシでありつづけた。
だいたい同じ時期に次号(15号)用として「空中ブランコに乗る子供たち」50枚を書いた。
雑誌がちっとも進行しないうちに、同タイトルの単行本のほうが進んでいったので、この原稿はボツにした。
四冊目の本も、それほどすいすいと形になったわけではないが、それ以上に「同時代批評」のほうがフリーズを来たしていた。「ブランコ」は最初の50枚ヴァージョンのほうが良かったと編集者のHに言われたことがある。
そう言われるとその気になってくるから不思議だ。
もう少し後になって、また別の編集プランが進行したさい。一年か、二年は経過していたと思う。二種類の原稿を用意した。
一は、小松川事件についての短い原稿。二は、50枚評論のさしかえとして戦後文芸批評と植民地主義についての論考。後者は、四冊目の本になるはずでマボロシと消えた『戦後批評史』二百五十枚から抜粋したもの。新しく用意したわけではない。
この段階の企画も流れ、というか時間がかかりすぎて自然消滅といったほうが近く、それなら小松川事件のコラムをじっくり書いたほうがいいのではないかという話になった。
 ところがこちらは当方の責任によってまったく実現のめどが立たなくなる。50枚のスペースのところに三百枚以上書けてしまったからだ。
また50枚評論のテーマを急遽考える必要に迫られた。
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 16号目次。発行の日付は1994年1月になっている。
 この雑誌のことは、梁石日の『終わりなき始まり』に、一つの側面からの証言が刻まれている。
 また平岡正明の大長編小説『皇帝円舞曲』にも、圧倒的・専制的なデフォルメをほどこされた上でだが、何人かの実在モデルが登場させられている。
 ある時代と時代精神のありようは、どちらの書物にも鮮やかだ。
この号が実質的な終刊号。

ここに10回にわたって提供したのは、その軌跡の一端のほんの表層にすぎない。データ的な意義はごくささやかだ。

 さらにはページの性格上、ごく私的なクロニクルを顧みたのみである。
関係各位のすべてに配慮のいきとどかない部分があるだろうことをお詫びしておきたい。

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