クイーンに魅せられて
最初に読んだのは宇野利泰訳の『Yの悲劇』。
一九六〇年の後半か六一年だったと思う。十三歳になっていたから、たぶん後者だ。一家ともども京都に移住したわたしは、ご多分にもれず、急激なカルチャー・ショックに苦しめられていた。ミステリを読むことによって不適応を癒す時間を見つけるようになっていた。
中央公論社の世界推理名作全集十巻シリーズというのがあった。河原町三条上ルの古書店でクイーンの巻を買った。黒と白との太い縞模様の箱、B6変型の布装(奇数巻が水色、偶数巻が黄色)の装本(中林洋子)がえらく気に入ってしまった。
第一幕第四場、ルイザの寝室の章――犯人の顔を触ったルイザがその肌の感触を証言するところ。第一幕第五場、実験室の章――探偵レインが薬品棚の前で三 脚の腰掛けに注目するところ。この二ヵ所でわたしは身震いした。犯人がわかってしまったのだ。坂口安吾のアタピンだ。犯人はわたしといっしょの十三歳の少 年ではないか。その年齢だからこそ訪れた直観だ。
むろん『Yの悲劇』の作品的な深さは、子供による殺人という点にのみあるのではなく、彼が操り人形だったこと、またその点を通して探偵もまた連鎖殺人と いう暗い闇に落とされたことを、探偵小説の基底的なドラマとして定着したところにある。――わたしはそうした恐るべき真理を直観したのだった。
『Yの悲劇』の後半を、わたしは脂汗を流して読んだ。どうか自分の直観が外れてくれていますように、と。そればかり念じて。しかし不幸は適中していた。
フランク・パトナムの『解離 若年期における病理と治療』は、発達期の児童の精神における正常と病理の分岐点について多くの示唆を与えてくれる。とにか く十三歳あたりの自分が病理のほうに踏み迷わなかった理由を知りたい――という衝動に、ときどき迫られることがある。それを解くことこそわたしがものを書 く動機なのかもしれない。
同巻には、中編『神の灯』、短編「気ちがいパーティ」「ひげのある女」「首つりアクロバット」が収められている。これをすべて読み、あとは悲劇四部作、国名シリーズ、短編集と進んでいったはずだ。『Y』以上に衝撃を受けた作品はないし、その後は、いたって平均的なクイーン読者の道を歩んだにすぎない。
感傷をとっぱらっていえば、クイーンの精髄は初期短編にあると思う。
エラリー・クイーン Perfect Guide アンケート ぶんか社 2004.12
Share this content:
コメントを送信