更新日記2004.07.01
気のせいなのか、文筆業者の首吊り自殺が相次いでいる。
今回のN氏のケースは、直接の引き金になった何かがあったのか。
生きているときには縁のなかった人でも、下世話なことが気になってくる。
そのニュースを聞いた次の日、某賞のパーティに立っていると、会場が「赤死病の仮面」をつけた作家たちの束の間の仮面舞踏会に変容したかのような幻覚 に、一瞬、襲われる。このうち何人かが次の首吊り人になる(?)などと想像するのは、まさに病的な反応ではないか。ああ、オソロシイ。
N氏の事情をそれとなく方々に尋ねてみると、逆に「何かご存じないですか」と訊かれて困った。「現場は密室だったんでしょう?」「そういえば、内鍵がかかっていた、と記事にありましたね」。ミステリ作家の死ともなると、やはり当たり前では済まないのだろう。
広津和郎『同時代の作家たち』を、電車の移動用で読んでいたら、やたらに面白かった。直木三十五の借金取り撃退法とか、宇野浩二が精神病院に入る前後のさまざまのエピソードとか、付随して、ちょうど自殺する直前だった芥川龍之介が妙にはしゃいで宇野の病状を気遣っているところとか……。「常識人の観察」がそれを捉えているのだけれど、観察眼は安定しているようで常におびやかされている。その綱渡りの様相が心を打つ。
自殺前の牧野信一の原稿売りこみに広津が奔走する話も印象深かった。交渉がうまくいかなければすぐにも高所から飛び降りそうな切羽つまっ た表情の牧野を待たせて、原稿と引き換えに前借り金を要求する広津。この例話にかぎらないが、原稿書きの暮らしはかつては牧歌的だったのだなと思えてしま う。自殺の仕方もだが……。
まとまりのつかなかったテーマが少しずつ形をつくってくる。評論のほうは早い。現実の表層だからだろう。『夜の放浪者たち』とタイトルも決まった。もう少し戦闘的な感じがいいのだけれど、あまり勇ましすぎても陰影が欠けて、ピッタリとこない。
夜の放浪者たち――モダン都市文学における探偵小説未満
構成案のプリントや第一段階の資料コピーをデスクの上に重ねておいた。その書類を、留守にしているあいだに猫が齧っている。ほんの二、三日のことだ。まったくなんという奴だ。主人の仕事が気にくわないのだろうか。
小説のほうは依然として動かない。核心の見えないモヤモヤが一向に晴れてこない。
夜、眠る前に自己暗示をかける。夢の中でその真髄に迫っていることはほぼ間違いないはずなのに……。
夢の追跡。
夢の中の別人の人生。
ブラッサイの写真集。
十九世紀小説だな。
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