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更新日記2004.05.15

更新日記2004.05.15

 過日、船戸与一さんと久しぶりに会い、対談の収録をした。
船戸さんの新作『金門島流離譚』と、わたしの『アメリカを読むミステリ100冊』のことから入り、話は多岐にわたった。偶然ながら同じ出版社の本だ。『流離譚』は、金門島という特殊な場所に、じっさいに訪れたような臨場感を与えつつ展開されるハードロマン。


船戸さんは二ヵ月におよぶヴェトナム取材行から帰られたところだった。
船戸ロマンのスタンスも、戦略も、執筆ペースも相変わらずであることを確認できた。ただ酒を飲むピッチはかなりゆっくり(ということは人並み)になったみたいだ。
対談記録は来月号の『新刊展望』に載る。
じつのところこの対談、こちらが雑誌名を他誌と勘違いしたり、編集者が待ち合わせの場所指定を間違えたりで、開始前からいささか一波乱(?)あった。
船戸さんの話でいちばんケッサクだったのは、さる東南アジアの国の学校を訪れたときのこと。日本から来た高名な作家に向かって、校内一の秀才(15歳)がこう質問したという。
――あなたはサミュエル・ハンチントン『文明の衝突』をいかに評価されるや。
と言ったそうな。
これにはまいりました。
ハンチントンやフクヤマなどは、グローバリゼーションのグローバルな(国境をやすやすと越えた)教科書なのであろうか。


チャールズ・カプチャン『アメリカ時代の終わり』の ような生真面目な書物を読むと、ハンチントンやフクヤマが一章あてでご丁寧に論破されつくしてある。しかし、これがまったく面白味に欠けるのである。正論 であるけれど、つまらないという困った代物だ。ネオコンの糞塊たちは、「二一世紀もアメリカ時代だ」とかいって、狂ったように吠えつづけるんだろう。要す るに連中の頭のなかでは、星条旗は永遠に永遠たる永遠なのであって、他国の歴史なんかはゴミにも値しないわけだ。人種差別主義者イシハラの言動がいい例 で、バカなことを言うほど大衆受けする世の中だ。これが正常な世界なら異常でない者に住む場所はないだろう。グローバル化の荒波に襲われる東南アジアの十 代の知識人候補生がハンチントンなどを懸命に学習している――という構図は、あまり楽しいものではない。
それと、中国のさる大物ベストセラー作家の内幕話にも、蒙を啓かれた。
これらの話が、対談記録にうまく嵌めこまれるかどうかはわからないけれど。

体調、引きつづき悪し。
長時間の外出は控えている。
なんだか七十代になってしまったような脱力感だ。
出なければいけない集まりを、最近、二つ、三つ欠席してしまった。
見通しはまことに暗い。

『ドーン・オブ・ザ・デッド』のリメイクなど、観たい映画がいくつもある。昔のように五、六本ハシゴしてくれば、堪能できるんであるが。疲労感を予想すると、にわかに「ヒキコモリ」状態になる繰り返しだ。

某誌で始まった書評コラム。ミニマムな字数に翻訳者名まで入ると知らされて狼狽する。それで五パーセント(!)も占めるではないか。削りに削ったヴァー ジョンから四字(!)さらにマイナスしなければならない。ひとつはすぐできたが、もうひとつはほとんど固まっていて、どうにもこうにも動かない。一時間努 力したが進展なし。えらいことになった。
某所で、二百字ミステリの書き方なんて話をしたバチでも当たったんだろうか。

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