更新日記2004.05.01
桐野夏生さんの『OUT』は残念な結果になった。
日本での旧作が外国作品の新作と同じ尺度で測られるという、時間差の間の悪さは少し感じたけれど、これをはずみにして、エドガー賞候補に日本人作品が毎回ノミネートされるといった状況が来てもおかしくはないだろう。
『OUT』がこちらで刊行された年の、MWA賞はトマス・H・クックの『緋色の記憶』、CWA賞はイアン・ランキンの『黒と青』。どっちがどっちかと較べてみるのも一興だ。
人質事件は、幸いなことに、単独の事件としては、早期解決をみた。
政府が洩らした「自己責任論」の背景には、たまたま人質になった個人の「プライバシー」をいち早く掴んでいたことが濃厚にあったのだろう。なんのことは ない。莫大な資金を投入して行なったといわれる「救助活動」の第一歩は、当該人物が「助けるに相応しい信条の持ち主であるかどうか」判定するための調査 だったらしい。
反日のシンパ(疑いも含む)だったりすれば、国の責任は免責されるというのが現政府の論理(?)なのだ。かぎりなく貧しく情けない国家ではないか。こん な政党を選挙で選んでいる国民の「民主度」も情けないが……。そうした政府の幼稚さを冷静にたしなめる正論が新聞に載っていることで、いくらかは安堵させ られる。
必要があって拷問の本ばかり調べていたら、途中で気持ちが悪くなってしまった。
一週間以上つづいた体調不良がやっとおさまってきたところなのに……。
拷問、という文字を見るだけで引きつけがおきそうだ。
やれ、困った。
目眩とは久しく遠ざかっているが、脳が孤島のように切り離されてしまうような予感(恐怖)には、幾度も近づく。脳が血管障害で物理的に圧迫されたり、酸 欠状態になったのではない。ウイルスにやられて高熱を発した。その結果、意識を喪って徘徊し、倒れ、幻覚にふりまわされた数週間。あの二の舞はゴメンだゴ メンだと思いながら、外を歩いていた。五分前の記憶がしっかりつながっているか絶えず確かめないと不安だった。だれにも訴えられない。
どうにも最悪だった四月の後半。
それをようやく乗り切ったあとなのに……。
塩見鮮一郎さんの『車善七 巻の一』を、居住まいを正して読了した。たいへんな力技だ。まだ三分の一のところだが、畢生の大作を予感させる。『浅草弾左衛門』をはるかに凌駕するだろう。弾左衛門三部作の第一巻が出てから、はや二十年にもなるか。そのあいだに挟まれた『北条百歳』や『西光万吉の浪漫』には、必ずしも全面的に首肯できなかったので、この作品の奔騰ぶりが(僭越すぎる書き方になるけれど)単純に嬉しい。
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