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更新日記203.07.15

更新日記203.07.15

ついに出た。
出たぞ。
と、他人様の本をここで掲げるのも最初にして最後だろう。
自分の本でもないのに待望し、現物を目にして感動するなんていう体験は、これはもうほとんど奇跡的なことだ。
シオドア・スタージョン『海を失った男』


スタージョンの本はすべて持っていたのだけれど、『原子力潜水艦シービュー号』の創元SF文庫版は、映画のノヴェライゼーションということもあって、いちど読んだきりで手放してしまった。高校のときだ。
いや、そうじゃない。HPSFの『奇妙な触れ合い』もいつの間にか行方不明になっていた。そのことすら忘却の彼方に去ってしまっていたらしい。たしか安部公房『第四間氷期』のとなりに並んでいたはずなのに……。


おまけに。
むかし『奇想天外』で読んだ記憶のある短編のことを思い出して、本棚を捜した。ところが見つかった『奇想天外』は一冊きりで、それもブラッドベリ特 集だった。ことの皮肉にうんざりした。何も喪ったものはないすでに喪ったもの以外は――。タイトルも、どんな話だったかも憶えていない作品は、たしかにス タージョンにしか描けない一途な求愛に貫かれていたと思う。いつどこでだか忘れたが、この小説のことをある女に必死に説明していたようなおぼろげな情景 が、干からびた反吐みたいにわたしのなかに残っている。おれのことを理解してくれおれのことを愛してくれと女に求めつづけていた。埋められないあいだに あったのがスタージョンの小説。
出来すぎたシーンだ。
雑誌が手元にないということは、わたしがそれを読んだという記憶そのものが一種の思いこみにすぎないと語っているのだろうか。でなければ、わたしはそれ を喫茶店かどこかで読んだのかもしれない。『奇想天外』を置いていたコーヒー店があったのだろうか。あるいは、すべてはわたしのなかで勝手に組み立てられ た妄想の一情景なのだろうか。
伝説の『一角獣・多角獣』は墓まで持っていきたい唯一の本だ(?)


「めぐりあい」 It Wasn’t Syzygy が完訳でなかったこと は、今回の本で初めて知った。しかしわたしはあまりにも従来の訳文に、《いっそ読まないほうがいいのだ。ほんとうにそうだ》の一行で始まる世界の、あの質 感に慣れてしまっていることに気づく。読み直すと細部の一行一行からスタージョンという人物が息苦しいほど立ち上がってくるのを感じる。これが小説なの だ。
彼はたぶん、自分が異星人で、この地球にたった一人流刑にされているのだ、という考えを気に入っていたのだと思う。彼がくだらないスペースシップの話などを書いて満足していたことの意味は、そんなふうにしか解き明かせないだろう。
あらためて思ったけれど、わたしはこの作家の全体像という点にはさして興味がなかったし、今もない。愛に傷つけられた渇望者。ポオライナー・ファスビンダーの同類。それ以外の面は、べつにどうでも良かったようだ。書くべきことは、すでに『北米探偵小説論』にたいていは書いた。わたしのなかにすでに墓標はつくられていた。
それはもう変更できないように思う。

ついでに書くみたいな恰好になって不細工だが、自分の本も出た。

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