更新日記2003.09.01
『インパクション』137号 「北朝鮮」異論 襟を正して読む。
日本人であることを恥ずかしく思う感覚を新たにする。
だからといって……。
某日。多摩市でひらかれた「詩人・金時鐘さんとの夕べ」を聴きに行って来た。詩人自身による詩の朗読と港大尋のピアノのセッションを初めて聴いた。コラボレーション・ライヴは『風は海の深い溜息から洩れる』としてCDも発売されている。地の底からの文化は常に状況の暗黒化をのりこえうるのだろうか。
詩人の講演は、八月の夏についてのものだった。歴史を測る時計の差異――「砂時計のなかの在日」をふたたび考えさせられた。
イベントの第三部、在日の若者からの発言が刺激的だった。希望は地に堕ちたわけではないと思った。
終わってから、時鐘先生にあいさつして帰る。
某社のゲラ作業が済んだと思ったら別の某社のゲラが届き、また次には別の某社のゲラも控えている。なんだかものすごい商売繁盛ではないかと錯覚しそうになる。いや、違うんですな。
遅れていちどきに、二つも三つもゲラゲラゲラと重なってくることが何よりも恐怖であった。じっさいはそうならず、一週間送りずつぐらいのペースで順繰りにきているから、充分に対応できるはずなんだが。
やはり頭が混乱してくるところがある。
その煽りというのか何というのか、某社の校正者に殺意すら生じることが起こってしまった。怒りを通りこしてだ。いつもは感謝しこそすれ、こんなにストレ スがたまることはない。理由の主たるものは、いろんな事情が重なってか進行が大幅に遅れたことに加えて、校正者の都合(これがなんだか正体不明)によって 必要以上に引き伸ばされたというプロセスにある。さんざん待たされて初校にも再校にも寸分たがわず同じチェックが入ってくる――まずこれが理解不能だ。い ちど点検したものが差し戻しにされている。そしてその九割方が、「違い」を漢字で書くか平仮名にひらくか不統一になっている、といったチェックなのだか ら。初校で明確に指定したにもかかわらず、一からチェックが入ってくるのには参った。それだけでキレそうになる。
時間をかけるのなら有意義な結果を出したいものだし、また出せると信じたい。しかしこのかんわたしが付き合わされたのは、ほとんどカフカ的ともいえる不 条理な(つまりまるきり無駄でしかない)校正労働の成果(成果というのは、もちろんこちらの受け取りようではない)なのだ。われわれは校正者に職業的自己 満足を与えるためにものを書いてるんじゃないぞ。
「己」を「己れ」と「れ」をおくって表記することを、初校に銘記しておいたのが、まったく無視されて、「己れ」の用例すべてに「?」と丸カコミの 「れ」、 おまけに「辞書的には不用」と注記してある。同じ繰り返しだ。不用なのは校正者の存在、おまえだろ、と叫びそうになった。わたしは徒労感におそ われながら、そこに赤い×印をつける。おかしなパラノイア・ゲームをしてるみたいだ。これに費やす、無用の、そして無用の繰り返しの、けっこう馬鹿になら ない時間の対価はいったいどうしてくれるのか。
おかげで――少々八つ当たりめくが――つづいて到着した別の某社のゲラを見る気力が湧いてこない。ゲラ恐怖症だ。頭が痒くなる。頭髪よさらばがさらに不可逆に進行する。これって立派なポスト・トラウマじゃないのか。
これまでわたしは、「校正は文化なり」という敬意は最低限もっていたつもりだ。書き手にも編集者にも盲点だったパーツを指摘され魔法みたいだと驚いたことも少なくない。だが――今の気分は最高に不毛だ。
校正者を殺せ。
手元にエンピツでなく拳銃でもあったら危ないな。
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