更新日記2003.06.16
仕事場移動のための荷物運びがまだ続いている。体力の衰えと余計なことばかり考えるのとで、しばしば中断する。まったく困ったことだ。所蔵する本がしかるべき位置にぴったり収まらないと、気分が落ち着かない。できるだけ少なく本を所有することが理想なのだけれど、理想とはおよそほど遠い生活だ。いつも思うように、蔵書とふつうの暮らしとは両立しないことをいっそう痛感する毎日。
整理につぐ整理。ダンボールの箱単位で叩き売りする本を仕分けていると、ガス室に囚人を送りこむナチスの官僚になったような精神状態に近づく。
某日、最終のゲラをチェック。こうした作業は一日でやってしまったほうがいいのだが、その余裕ある一日を確保することが、今のところ難しい。
某日、別口のゲラが手元にくる。こちらは初校。日にちはあるにしても、どうしてゲラが机に重なることになるのか、ありえない事態が現実になっている。デスクはまだ仮の状態で、二つの仕事を同時にこなすことは無理だ。
海野十三とブルーノ・シュルツの全集を交互に読んでいる。おかしな取り合わせだ。小説と評論と両方の下調べのため。海野もやはり悲劇の人だったのだろうか。自分が惹かれる書き手のタイプはいつも似ている。月並みな生を全うした者に興味をひかれることは少ないのだ。
二つの短編集しか残していないシュルツ。その作品は、翻訳者の日本語にかなり助けられていると思えるが、確言はしかねる。訳者の工藤幸雄によれば、富永太郎の「鳥獣剥製所」を連想させる一編がある。富永の詩集を整理中の荷物から引っ張り出してまた再読する。たしかに。
そういえば、この詩からイメージを借りて、『煉獄回廊』の第10章を書いたのだった。
妄想があちこち弾けかけて苦しい。
某日、『ジャーロ』 の最新号、受け取る。本格ミステリ大賞をめぐるわたしの不手際の記録が載っている。評論部門の選考の弁は行数超過で無効票になってしまった。たしか昨年も……。そもそも開票過程にミスが生じた要因は、大賞選考の十戒をわたしが破ってしまったことにある? これはまことに遺憾である。何はともあれ、結果が大事にいたらなかったことがせめてもだった。
某日、某日本文学学校なるところのホームページで、わたしの名が講師の一人として書かれていることを発見した。そんな学校で講師をしたこともないし、また頼まれたこともないし、またたとえ頼まれても引き受ける気もない。妙なものである。さすがに講師紹介のページにまでは記載はなかったけれど、このような紹介があるということは、パンフレットか何かにも同様の情報が載っているのだろうか。面倒くさいから文句をつけるつもりもない。こちらの名前で応募する人がいたりしたら問題だ。そういう人がいないことを望む。
ようやく『安吾探偵控』のほうも実務作業が始動しはじめた。
わたしにとってはやっと新年になってくれたようなもの。
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