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更新日記2003.03.16

更新日記2003.03.16

 

変わらず東京大空襲関連のデータ集めにかかっている。
時おり現実感を失調することがある。
考えてみれば今年も「三月十日」がめぐってきたのだった。
夜、歩いていると香辛料が数種まじった濃密な臭気に包まれた。何だろうと嗅覚を探ってみると、香りはもうさってしまっている。濃厚なぶん臭いのかたまりはごく小さく、すぐに拡散していくものなのか。遅い夕餉の香りと、時どき驚くほどの間近さで遭遇することがある。カレー、煮物、焼き魚。どこの家から発されるかも定かでないが、ちっぽけな火の玉のように臭いをかたまりにして保っているものと行き当たることがあるのだ。
それでも香辛料が単独に嗅ぎ分けられるというのはかなり珍しいことだ。おそらく焼き肉に付随した香辛料のはずだが、追いかける前に臭いは散っていた。
戸外には戸外の匂いが満ちている。いまの季節なら梅の花。
五十八年前の帝都を襲った阿鼻叫喚。
死体が焼けこげる臭い。一瞬にして炭化した生命たちの叫び。
情景がまざまざと蘇ってくるように感じるのは、同様の体験談を繰り返しくりかえし読みつづけていたからだろう。想像するのが難しいとしても、まぎれもない現実だった。
確実に計量化され、周到な実験を積み重ねられ、実行された戦略爆撃。二時間余の攻撃による十万人を超える死者。
某日、某氏と表参道を通りかかった時。戦争前夜にもかかわらず、この賑わいと平和さは何だ。思わず口をついて出てきた言葉だった。
戦争は無差別に人間を殺す。同じ爆撃がまた彼の国によって着々と準備されている。百五十年にわたって日米は友好関係を保ってきたと演説して恥じないアメリカの大統領とそれに追随する日本の首相。あれは歴史ではなかったのか。かつて灰燼に帰した帝都の上を歩いても歴史は語りかけてはこない。

気がつけば、卒業式が二つ重なる。
日々はこのように過ぎていく。順序としては来月には入学式がめぐってくるわけだ。子供たちの環境も勝手に移ろう。知らないのは自分だけかもしれない。
昨年は父親の二十三回忌だった。二十三回忌とは何か、何をするのか。だいたいそれすらも知らなかった。去年も同じことを感慨したのだろうか。憶えていない。

某日、推理作家協会の評論部門予選会。
候補にふさわしい作品がまるでない年もあれば、今年のように多すぎて困る年度もある。絞るのにひと苦労した数時間。

セミナーの生徒作品がけっこう集まっている。講義を月一回に減らしてから好調のようだ。次回にも二つか三つアップできるだろう。他人事ではあるが、悪い気分ではない。

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