更新日記2003.03.01
このごろストーリー性のある夢が多い。
いちど目覚めた状態になっても、つづきを見る。連続性があるのだ。
それだけ夢の支配力が強いのだろうか。もともと脈絡の希薄なイメージの連結からなるものが夢だ。起きれば忘れる。覚醒の時間とは別のレベルにある。それが長いまとまったストーリーがあるために記憶に引っかかっていることが多い。起きてもまだ目覚めていないような。
もとより夢そのものに、何の意味も強制力もありはしないのだけれど。
東京大空襲について、ぼちぼち調べ始めている毎日。
調べものにかかると、最初は、いつものことながら、派生的に余分なところばかりに目がいってしまう。その一冊として中野重治の『愛しき者へ』に目を通す。原泉との往復書簡の一部だ。こちらの必要とする興味は、中野という文学者の生涯には、さしあたってないのだけれど、やはり、この本の内包しているさまざまなキャパシティについつい寄り道しそうになる。求心するよりも拡散するので、それはちょっと困る。困るので、無理矢理、関心を狭くしぼりながら通読を心がけた。
一読の感想を、そのせばめた範囲で、一言につくすなら、中野の文章にユーモアを味わったのは初めてだ、ということになる。これは他のものを読んだときには、読みが浅く幼かったので素通りしてしまったのかもしれない。などと考えたりするのは、すべてこちらの目的からははみ出した余剰だ。そのうち機会があれば、立ち戻ってくるテーマかもしれないが、そんな機会はふたたび巡ってこないかもしれないし。
内田百鬼園『東京焼盡』のように記述対象を限った文献ばかりなら助かるけれど、過去の出来事に粛然とした姿勢を持てないとしたら、それはそれで問題だ。余計なことを考えつつ求心することが正解だろうか。
遅ればせながら『ソウル・オブ・ブラック・ムービー』というムック本を手にとって見た。70年代のブラックスプロイテーションに限定されたカタログ本なんだから畏れいる。オリジナル・サウンドトラックとオリジナル・ポスターが満載。これだけあると知らない物件のほうが多い。この種のマニアがいるとはビックリだ。
評判の『同和利権の真相2』を読んだ。パート1でも少し気になった代々木臭がひときわ強い。あまり臭くて、最後まで読み通せなかった。いい加減にしてくれ。
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