更新日記2002.06.10
百均ショップで新刊ミステリのコーナーを見つけた。以来、ちょっとしたカルチャー・ショックがつづいている。全国規模のチェーン店であるから、それにCD、地図、実用辞典もそろっているのだから、新刊コーナーがあっても不思議はないと思われるがしかし。
奥付の日付はなし。物理的には書物であっても、流通システムの形態としては本ではないのである。220ページで頁立て20行つまっているので、ふつうの長編の長さは備えている。文具にしろ、日用品にしろ、あれもありこれもあると、消費者の立場としては驚いたり重宝したり、基本的には恩恵を受けてきた百均ショップだ。本があったって、これが消費者の側からなら、何の抵抗もないだろう。いや、きっと有り難いことにちがいない。本もまた買い捨て売り捨ての品目のひとつなのだ。しかしモノが書き下ろしの長編であってみれば、書き手の側に身をおく者として非常なショックを感じる。それを仕込むのに要する時間と労働力を考えれば、百円という均一の値段は明らかに底値を割っているではないか。
これはアメリカのドラッグストアの片隅に初版部数三百万部のキング本が売られている光景と同じようでまったく違う。第一システムからして違う。百均ミステリの部数はいったい何部なのだろう。そして印税は何パーセント保証されているのだろうか。活字本をつくって取次・小売店のマージンと同じくらいの印税が著者の報酬にあてられるといった形での本の流通が唯一だったシステムはいたるところで崩れてきている。だからそこに生活の基盤を置いていた文筆家の生活も崩壊しつつあるのだろうか。百均ミステリみたいな極端な現象に象徴されるように。
それこそ、その予備軍も含めての書き手の大量ストックと大量使い捨てによりかかったシステムが当たり前になっていくのだろうか。
モノの値段は相対的。モノつくりに要するコストと売値のアンバランスに消費者は驚きこそすれ、安すぎるからといって不満をもらすことはないだろう。ダイソー・ミステリー・シリーズは三十点あった。ぜんぶ買っても、単行本二冊分でしかない。既成作家の何人かは旧作を模様替えして出しているようだが、確信はないし調べる熱意もわかなかった。それにこのシリーズでデビューしている新人も何人かいる。本ならぬ本でデビューした新人はこれからどういう道を選ぶのだろうか。わたしも出版界の薄暗い裏道はいくらかくぐり抜けてきた。だが百均ミステリにはただただびっくりするほかない。三十点を買ってきて「研究」してみようかというふうにもいくらか気持ちは動いた。しかし、とてもそんな時間は取っていられない。新人のデビュー作には、大手出版社が多額の経費をかけて売り出す新人賞受賞作とは比べられないにしても、新鮮な「何か」はあるのかもしれないが、それを見つけだしてやろうかと思うほどの余裕はこちらになかったのだ。
新規ページは東京新聞の「ミステリー評判記」の前期分。
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