1999年 京都の怪しい夜
前列中央がわたし。右側に金時鐘キム・シジョン、その後ろに綾辻行人、法月綸太郎の各氏。
他は個人的な友人など、知らない人も混じっていたので略させてもらう。場所は四条京阪南座前であった。
金時鐘先生を京都に呼びつけてしまう形になったことなど、恐縮する不備が多かった。
非常におかしな顔ぶれが集合したわけだが、委細はこれも省略。
最近になって考えているのは、谷崎潤一郎の『鍵』を一種の京都小説としてモダン都市小説の変型として読解することだ。『鍵』の舞台は左京区の大学近辺の三角形を呈する狭い区域にかぎられる。主要人物四人はことごとく常識の尺度では測りえない悪人。谷崎的サタニズムの申し子だが、表面的には育ちのいい典型的な京都人。このいやらしい二重性こそ京都そのものだと作者は信じているようだ。それ故『鍵』のなかに挿入される大阪の旅館(唯一の外界)は、ことのほか象徴的な意味を持つのだろう。「夢の浮橋」は、京言葉の持つ曖昧模糊としたエクリチュールを利用し、組み入れることによって、深泥池の水面のようにあえかな人間性を作品に映し取ることができた。その魔術とは異質であるにしろ、『鍵』が見せた洞察もまた、京都という土地の神秘多義に多くを拠っていると思えてならない。
はたして気の利いた論考が出来上がるかね。
そんなことを考えたのは、自分が半分は京都人の尻尾を残しているからかもしれず……。
なんだか画像とまったく関係ないことを書いてしまった。
はたして気の利いた論考が出来上がるかね。
そんなことを考えたのは、自分が半分は京都人の尻尾を残しているからかもしれず……。
なんだか画像とまったく関係ないことを書いてしまった。
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