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週刊読書日記「めまいは恐い」

週刊読書日記「めまいは恐い」

最近、山梨県小菅村の「多摩源流小菅の湯」に行ってきた。どういう経路で行ったのか説明すると面倒なので端折る。じとじと雨の降る霧の深い日。近所の民宿のお母さんにずいぶんとお世話になった。丸々と太って、わたしがむかし書いた小説の「マム」と言う人物そっくりだった。
×月×日 『めまいは恐い』坂田英治著、講談社ブルーバックス 本体660円)を読む。書店でこれを見つけたときは感動した。まるで自分のために書かれたような本ではないか。第一章の「めまい外来は満員盛況」を読んでまたまた感動した。めまいに苦しんでいる人はいっぱいいるのだ、と。


めまいはわたしの持病の一つ。飼い慣らすことができない。個人的なケースとして言えること。一、前兆がない(突然にくる)。二、いつまで続くかわからない。三、(これが最大だが)原因がわからない。
とにかく『めまいは恐い』を読んで理解できたのは、めまいにはどんなものでも原因があるということだ。これは啓示のようにわたしを打った。内耳からくるものと脳からくるものと、簡単にいえばこの二つ。そうと知ってオロカ者のわたしは救いを得たのである。
めまいの症状はわたしの場合、べつに日常生活には支障はきたさない。仕方のないときには人と会って会話もできる。バスや電車やタクシーを利用してなら無事に移動もできる。ただ相手が何重にも見えて困ることはあるが。寝込むことはない。というか、寝込むといっそうめまいを付け上がらせるので、座っているか立っている必要があるのだ。そのあいだずっと、恐いはめまい、めまいは恐い、と念じている。ただ執筆も読書もいっさい成り立たなくなる。脳みそが余計なことを考えすぎるからバチが当たるのか、などと非科学的に悩んでいたわたしだったが、『めまいは恐い』を読んでからは違う。もう恐くはない。

日刊ゲンダイ 1997.6.12

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